大谷だけではない。過去にもあった記念ボール“トラブル”…バリー・ボンズの73号は法廷闘争にもつれこみ映画化
60号は、キャッチしたヤンキースファンの大学生がジャッジのサイン入りバットとボールとの交換で球団へ返却した。記録に並んだ61号の記念ボールは、左翼スタンドのデッキに当たって、すぐ下のブルージェイズのブルペンに落下。ブルージェイズのブルペンコーチのマット・ブッシュマン氏が手にした。ブッシュマンコーチは、すぐさまヤンキースに返して最終的にはジャッジの母親の手に渡ったらしいが、同コーチの奥さんが、米FOXスポーツのリポーターのサラさんで「ボールを誰かに渡したら離婚だわ」とツイートし、そのユーモアがファンの喝采を受けた。ちなみに60号と61号の記念ボールには、MLBが持つテクノロジーによってしか見えない特別な3つ目のマークが施されていたという。 そして記録更新の62号は、キャッチしたコーリー・ユーマンスさんが手放すことを拒否。ジャッジが「戻ってきたらいいけど、これはファンのお土産だ。素晴らしいキャッチをしたから、そのファンの権利だ」と語ったことから、球団の承認を受けて、オークションに出されることになった。300万ドル(約4億5000万円)で買い入れるという申し出を拒否して、オークションに出された結果が、半額の150万ドル(2億2500万円)だった。 全米を巻き込んで大騒動となったのは、2001年にジャイアンツのバリー・ボンズが放った年間最多本塁打記録を更新する73号の記念ボール。スタンドに飛び込んだボールは大争奪戦となって、日系のパトリック・ハヤシさんが持ち帰ったが、その後「自分が最初にキャッチした」と主張するアレックス・ポポフさんがハヤシさんを提訴したのだ。のちに「100万ドルのホームランボール」という映画にもなった。626日に及ぶ法廷闘争の結果は、2人の共有財産とされた。ボールは、その後、売却されたが、手数料込み51万7500ドル(約7700万円)と、予想された100万ドル(約1億5000万円)の約半額だった。 2015年にヤンキース時代のアレックス・ロドリゲスの通算3000安打目となった本塁打の記念ボールをライトスタンドでゲットしたザック・ハンプルさんは、タフネゴシエーターだった。返却を拒否して、ロドリゲス、ヤンキースと長い交渉を行い、数々の条件を引き出した。ハンプルさんが支援する団体にヤンキースが15万ドル(約2250万円)を寄付することや、サイン入りユニフォーム、サイン入りバット、ヤンキー・スタジアムのバックステージを見学できるVIPツアーに、この年のオールスターのチケットなど、ごっそり持っていった。
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