ロシア軍上陸に備え築かれた戦争遺構「吉坂堡塁」 砲台跡や弾薬庫がそのまま山中に眠る要塞 福井・高浜町
福井テレビ
県内の魅力を再発見する「小旅」のコーナーは今回、高浜町青郷(せいきょう)地区の山中に今も残る要塞「吉坂堡塁(きっさかほるい)」を訪ねます。日清戦争後、高まるロシアとの対立に備え造られたもので、弾薬庫などがそのまま残り、貴重な戦争遺跡として今後の活用法が模索されています。 高浜町の青郷公民館の中で展示されているのは、地区内の山中に今も残る要塞「吉坂堡塁」に関する写真や、当時置かれていた大砲の模型です。日露戦争直前の1902年、舞鶴港を守るためにロシア軍の高浜湾上陸を阻もうと築かれた要塞群の一つが「吉坂堡塁」です。一般向けには公開されていないため先日、公民館が町民向けに実施した見学ツアーに同行しました。 高浜町・六路谷(ろくろたに)にある杉森神社の林道登り口から出発。堡塁は高浜町と隣の京都府・舞鶴市をまたがる山の中腹、標高242メートルの場所にあります。急な山道を登ること約40分、現場に到着しました。 最初の地点は貯水所(井戸)です。兵舎跡や正門、地下弾薬庫、カノン砲が置かれていた砲座跡などレンガなどが今もそのまま残っています。 大砲が置かれていた砲座跡や、ほぼ当時のまま残る弾薬庫。ひっそりとたたずむ光景は、ここだけ時間が止まっているかのようです。戦闘で使われることは なかったということですが、戦争の生々しさを物語っています。 参加した人は「迷路みたいで迷子になりそう」「砕けずに今も残っているのはすごい」などと感心していました。 案内してくれた公民館の職員は「明治期の戦争遺構なので、これだけきれいな形で残るのは珍しく貴重。この戦争遺跡をどう生かし、未来につなげていくかを考えていかなければならない」と話していました。 最先端の技術と物資を投入して造られた「吉坂堡塁」は、120年以上の時を経て戦争の記憶を今に伝えています。 吉坂堡塁の場所は、高浜町にある杉森神社から林道を登った中腹にあります。ただ、高浜町によりますと現場に向かう駐車場や案内板などは整備されておらず非常に危険なため、一般の人が見学できる状況にないということです。 町では今後、貴重な戦争遺産として活用法を探っていきたいとしています。
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