江川卓と初対戦した大洋の主砲・田代富雄はあまりの速さに驚愕した「これがあの江川かぁ」
そのボイヤーが田代のポテンシャルをいち早く見抜き、「絶対にクリーンアップを打てるから」と、トレードしないように首脳陣に進言したという。もしトレードが実現していたら、江川とチームメイトになり、対戦はなかったかもしれない。 「ボイヤーにはほんとに世話になった。トレードを止めるほど買ってくれたワケだから。それと入団した時に青田(昇)さんから『おまえ握力いくつだ?』と聞かれ、『80くらいです』と答えると、『長池(徳士)クラスだな』って言ってくれてね。あと、オレがドラフトされた年に近藤和彦さんが近鉄にトレードされることになって、青田さんが『今度入ってくる田代に背番号26をつけさせるから』って言ってくれたらしい。近藤さんから直接聞いたよ」 青田は指揮官として1年しか田代と一緒にやっていない。しかも田代はずっとファームにいたため、ほとんど接点がなかったが、ずっと気にかけていたのだ。 田代はメジャーのスターだったボイやーに愛され、巨人創成期の強打者で阪急(現・オリックス)第一次黄金期の長池らと育てた名伯楽・青田にもかわいがられた。 チームの主砲へと成長した田代にとって、個人成績もさることながらチームの成績が一番だといつも思っていた。だが、田代の19年間の現役生活のなかでAクラスはたったの3回(79年、83年、90年)しかない。 田代が大洋に入って初めて2位になった79年は、江川がデビューした年でもあった。 「空白の一日」により、開幕までの謹慎、開幕から2カ月の一軍登録禁止のペナルティーを受けた江川の一軍登板は、6月からだった。 大洋戦との初対戦は、6月21日の横浜スタジアム。4回からリリーフで投げ、4イニングを1安打6奪三振。田代にとって、実際に生きた江川の球を見たのはこの時が初めてである。
いわくつきで巨人に入団しただけに、ベンチにいる選手たちが江川の投球に固唾を飲んで注目していた。 「初めて球を見た時は、とにかく速い。『これがあの江川かぁ』だよ」 ゆったりとしたフォームに幻惑されるのか、田代はすさまじく速いと感じたという。 江川のデビューイヤーに、田代は1本だけホームランを放っている。しかし、田代はまったく覚えていないという。とにかく、プロ1年目の江川には手も足も出なかったという思い出しかなかった。 (文中敬称略) 後編につづく>> 江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している
松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin