『ニートができるまで』高校卒業後にニートになった男性が5年間の日記に綴った〝青春の日々〟
《ニート歴、10年超え。どんな人生が彼を生んだのか? 学校での出来事、クラスで流行っていたテレビ、放課後の楽しみだった漫画、友達との青春など… あの頃の懐かしい想い出とともに、当時抱えていた想いを振り返る》 【画像】12年間以上ニート生活をおくった男性が中高生時代に綴った日記『ニートができるまで』 『ニートができるまで』(パレードブックス)の書籍紹介にはこのように記されている。内容は著者である加工デンプン氏の中学2年生から高校卒業後までの〝日記〟だという。だが、実際に本を手に取ってページを開いた瞬間、予想していたのとは全く違う中身にしばし固まってしまった。例えば冒頭の1ページはこんな感じなのだ。 4/7 始業式 ヘイヘイヘイ スマスマ 4/8 本屋でエヴァンゲリオンの同人し 4/9 学校 エヴァのチラシをもらう 4/10 美術で明朝体とゴシック体を書く 4/11 班かわる チャンピオンを読む 4/12 3×3EYES エヴァ関係の本 4/13 こちかめ しってるつもり?で尾崎豊 4/14 ぎんがてつどうの夜 部屋の整理 4/15 身体測定 エヴァファン結構いる 4/16 ギフト るろ剣 ヴァイスちょっと 4/17 ファンロードとアニメかんけいの本 1日の出来事というか、おそらくその日に見たり読んだりしたであろうテレビ番組名やマンガのタイトルなどの「メモ書き」のようなものが1日に1行。ほぼ単語の羅列で1つの文章となっている記述は少ない。そしてところどころ抜けている部分はあるものの、これが5年ぶん続くのだ。 これは一体どう読めばいいのか? 本にはそれを説明してくれる前書きやあとがきなどは一切ない。いきなりこの本を手にした人は何だかわからないのではないだろうか。パッと見は詩集とか句集っぽくもあるのだが。 だが、たまに本当に何かのフレーズのようで〝奥が深そう〟な1行もある。 9/28 体育祭だるい焼けた委員長キレてた 11/27 幸せという言葉は個人ではなく皆だと 5/19 希望と絶望ほどでもないポジもネガ 日記の中にこれでもかと並べたてられたテレビ番組、アニメ、コミック、楽曲タイトルは、’00年前後に中高生だった人の郷愁をそそるかもしれない。また、具体的なことがほとんど書かれていないぶん、これらに囲まれた加工デンプン氏の中学、高校生の日々について無限に想像がひろがるような気もしてくる。 この本を読み解く「ヒント」をもらうために、著者の加工デンプン氏に取材を申し込んでみた。「はきはき喋れないのでメールのほうが楽ではあります」との回答だったため、メールを十数回やりとりして話を聞いた。 高校卒業後、12年半ニート生活を送っていたという加工デンプン氏。最終的に病院で検査を受けて自閉症スペクトラムと診断されるまでは家族からの理解も得られず、自力でネット断ちをしたり本を読んだりするなど、ニート暮らしから脱却するために苦労したそうだ。現在ではバイトをしながら仕事を探しているという。 「もともとは、漫画家になって自分の中学時代を『神戸在住』(木村紺)のような日常系の漫画にしたいと思っていた。でも、漫画を全然描けなかった。パレードブックスさんが原稿の無料診断というのをしていたのでそこに原稿を送った」 『ニートができるまで』を出版した理由について、加工デンプン氏はこう回答する。日記は「日々のことを忘れないように」と、中2からつけていたものの「要点」だけをまとめたそうで、1日1行にしたことに明確な意図はないという。 なぜ、中学時代のことを漫画にしたかったのかを聞くと、 「うまく言えませんが、中学時代が人生で一番楽しかったし、人生で一番大事だった、という感じです」 という答えが返ってきた。楽しかった思い出は次のようなものだったという。 ・クラスのほぼ全員にあだ名がついていた ・放課後は、本屋やコンビニに行けば友人に会えていた ・ベランダで、好きな音楽の話とかしていた ・休日は、1人で自転車で、知らない道をどんどん進んだりしていた ・学校に行かず、ヤンキーっぽくなっていた友人達もいた 中学校はスクールカーストのようなものがなく、まだ小学生のようなノリで男女を問わず話ができるような雰囲気だったそうだ。加工デンプン氏は、部活動などはせずに放課後は自転車でブラブラしたり、友人の家で遊んでいたりするような、ごく普通の中学生だった。たまに1人自転車で遠くの知らないところへ行ったりすることも好きだったとのこと。 だが、対照的に高校は加工デンプン氏にとって、あまり居心地のいい場所ではなかったようだ。 「無意味な校則が多く、ルールだから従え、嫌なら辞めろ、という感じだった、全校生徒を集めて、ただ怒ったり説教しているだけで意味がなかった」 「放課後は昔の友人達と遊んだりもしていたが、少しずつ変わっていって、一人で行動することが増えたかもしれない。放課後は一人で立ち読みとか買い物とか、ブラブラしていたと思います」 知っている顔ばかりだった中学校とは違って高校は「知らない人の集まりという感じだった」。それでも高1のときには友人がいたが、高2、高3ではあまりいなかった。中学時代の友人も次第に疎遠となっていったという。 確かに本を読むと、高校時代の日記はどこかトーンが暗い。学年が進むにつれてネガティブな言葉が増えていくイメージで、これでもかと漫画やアニメのタイトルが羅列されていた中学時代の日記が、すごく無邪気で楽しそうにも見えてくる。 高2、高3で友達があまりいなかった理由を「努力しなかった。学校生活を楽しもうとしなかったのは自己責任かもしれません」と言う加工デンプン氏。それはこの当時、インターネットに関する記述が日記の中に時々見られるようになったことも関係するのかもしれない。 「ネットにはまって生活が狂った。勉強をしなくなり夜型生活になって学校も休むようになった。現実より、ネット上での人との会話が楽で楽しかったんだと思います」 「会話もそうですが、インターネット全体が楽しくてはまっていた気がします。家にゲームがあったらゲームにはまっていたかもしれません」 自分でも「ネットのやりすぎは良くない」「ネットのコミュニケーションは正しいコミュニケーションではない」と自覚していたそうだが、やめられなかったようだ。 そして高校生活も残り少なくなり、同級生たちの多くが大学へ進学を決めていく中、加工デンプン氏は「フリーターをしながら漫画を書いて、漫画家になれたらいいかな、ぐらいしか考えていませんでした」という。だが、大学に行かないという決意だけは固かった。 「勉強もしていなかったし、担任教師もやる気がない、生徒に興味がないという感じだったし、親とも、ちゃんと話はしていなかったので、大学に行くことは一切考えてなかった。早く卒業したいという感じでした」 《3/1 卒業してバイト無く》 《5/16 職安》 《5/17 面接 月曜から行く》 《7日目行かず やめ 無職》 最後の3ヵ月の記述はほとんどない。何をしていたのか。 「忙しかったというか、いい加減になっていた。バイトは面接で落ちて、仕事は不真面目だったのでクビになって、漫画の専門学校を受験しても落ちて、なんとかなるだろうと、いい加減な夜型のニート生活を送っていました」 この5年あまりの期間の日記に記された、一見意味のなさそうな1日1日は、加工デンプン氏の一番楽しかった中学生時代から『ニートができるまで』の日々なのだ。 『ニートができるまで』(加工デンプン著・パレードブックス)
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