無関心であることの罪…ひどい時代にこそ試される「親切の力」 映画「ホワイトバード はじまりのワンダー」
【渡邉寧久の得するエンタメ見聞録】 いじめに加担し、学校を追われ転校を余儀なくされた少年は「人に意地悪も優しくもしない。ただ普通に接することだ」と学んだことを語る。 それを聞いた祖母が、無関心であることの罪、不作為の罪を自覚させるために自分の経験を語り出す。12月6日公開の映画「ホワイトバード はじまりのワンダー」(マーク・フォースター監督)は、そんな風に始まる。 世界的に活躍する画家サラ(ヘレン・ミレン)がパリから、子供一家が暮らすニューヨークを訪ねる。そこで、いきなり耳にした孫のジュリアン・アルバンス(ブライス・カイザー)の考え。それを改めるために、サラは1942年の南フランスでの少女時代の体験を話し出す。北フランスを占領していたナチスが押し寄せ、ユダヤ人が排斥され始める時代だ。 ある日、学校にナチスが押し寄せ、ユダヤ人生徒を連行しようとする。守ろうとする先生、生徒たちを安全地帯に逃がそうと奮闘するレジスタンスの闘士、ナチスに盲目的に追従する生徒と、時代が人間を色分けしていく。 ナチスから必死に逃げるサラ。親の言いつけを守らず、赤いおしゃれな靴を履き通学していたサラの足元はおぼつかず、希望がある逃走には見えない。危機一髪のサラに、クラスメートのジュリアン(オーランド・シュワート)が手を差し伸べる。ポリオの後遺症で不自由になった足が理由で、同級生にさげすまされていた。あだ名はカニ。サラも本名さえ知らなかった。 ジュリアンは損得も後先も考えずに、サラを安全な場所へ導く。ジュリアンの両親がいい人で、納屋の2階にサラを保護し、解放の日まで2年近く献身するのである。 親切が誰かの生きる力になる。ひどい時代になればなるほど親切の力が試される。小さな親切ができるかどうかに、人間らしさが出る。祖母は孫に「親切にはどれほどの勇気が必要か。命を危険にさらして人を助ける時、その親切は奇跡に近い」と語りかける。 世界を見回しても分かるように、人間は憎悪をむき出しにできる存在だ。憎悪が自分に向かってくれば当然抵抗する。自分ではない誰かに向けられた時に、どのような行動を取れるのか。そんな問いを突き付ける映画だ。 (演芸評論家・エンタメライター)
■渡邉寧久(わたなべ・ねいきゅう) 新聞記者、民放ウェブサイト芸能デスクを経て演芸評論家・エンタメライターに。文化庁芸術選奨、浅草芸能大賞などの選考委員を歴任。東京都台東区主催「江戸まちたいとう芸楽祭」(ビートたけし名誉顧問)の委員長を務める。