「ミエさんが苦手だった」「ブランクはあんたのせいよ」 園まりさんにとって「三人娘」は何でも言い合える“身内同然の存在”になっていた
渡辺プロダクションに所属する、園まりさん、中尾ミエさん、伊東ゆかりさんは、テレビ番組「スパーク・ショー」出演をきっかけに「スパーク三人娘」として活動。1962年から64年にかけてと長くはないが、絶大な人気を呼ぶ。 【写真をみる】「三人娘」時代の美貌は健在 ショートヘアが似合う65歳の園まりさん
“まり節”と呼ばれた歌い方
音楽評論家の安倍寧さんは思い返す。 「タイプが違う10代の三人です。中尾さんは『可愛いベイビー』が大ヒットしていて歌唱力もあれば話もうまい。伊東さんは幼い頃からジャズの経験を重ねていた。最年長の園さんは童謡歌手が出発点で系統が異なり、おとなしい印象でした」 64年、園さんはソロ曲の「何も云わないで」が評判に。三人娘のポップス路線から歌謡曲に転じて、持ち味を確立した。さらに66年、「逢いたくて逢いたくて」が爆発的にヒットする。 音楽評論家で尚美学園大学名誉教授の富澤一誠さんは振り返る。 「愛したひとは あなただけ、とささやくような甘い声で、切なさやほんのりとした色っぽさが伝わってきておしゃれでした。鼻にかかって少しこもったような歌い方は“まり節”と呼ばれたほど特徴的で耳に残った」
女性からも好かれた
ラジオDJで音楽評論家の山本さゆりさんも言う。 「品のあるお姉様の雰囲気、ぽわーっとした感じが女性からも好かれました。あのゆったりした歌声はまねができそうで難しい」 同曲の作詞は岩谷時子さん。園さんは心情をうまく理解できず、作曲した宮川泰さんから、もっと色っぽく歌うように言われたとか。 66年から2年連続でブロマイドの売り上げで女性歌手1位を獲得、まさにアイドルとなる。
交際を隠さない“素直さ”
44年、横浜生まれ。本名は薗部毬子。幼い頃から童謡歌手やモデルとして活動、渡辺プロダクションに入ったのは父の意向から。本格デビューした62年のうちに「三人娘」で時の人となり、ソロ歌手でも人気が続いた。 音楽評論家の増渕英紀さんは言う。 「『夢は夜ひらく』(66年)はもともと園さんのヒット曲です。歌詞を変えた藤圭子さん版の方が今では有名ですが、本来、すさんだ曲ではありません。女心を素直に表現した園さんの歌い方はもっと評価されていい」 63年以来、三人娘、ソロとしてNHK紅白歌合戦に6回連続で出場している。 「全盛期に民謡のアルバムも発表しています。原点は童謡で日本的情緒の表現に長けていた」(増渕さん) 作曲家の平尾昌晃さんや猪俣公章さん、北陸の有名ホテルの御曹司との交際を隠さない素直さもあった。 芸能レポーターの石川敏男さんは振り返る。 「園さんの方は本気で、家庭に入り普通の暮らしがしたかったように感じました」 園さんの稼ぎを散財する父の後始末に追われた時期もある。88年、意外な所に名を現す。高額納税者番付で歌手部門トップに登場。東京・赤坂に弟らと共有していた土地売却の結果だった。