会社員からサッカーのプロレフェリーに転身 オファーに「即決できなかった」が、審判員一本で勝負する道へ
サッカーJ1などを担当する1級審判員の浅田武士さん(34)=松本市出身=が、今季からプロフェッショナルレフェリー(PR)として活動する。2023年には国際審判員に登録され、海外での経験も積む浅田さんは「より自覚を持って取り組まなければいけないけれど、目の前の1試合を一生懸命やることは変わらない」と決意している。
PRは、安定して高いレベルでの判定を遂行し、審判員全体のレベル向上を図る目的で日本サッカー協会が導入している制度。24年は主審14人、副審は浅田さんを含め5人と契約し、県出身者では浅田さんが初めてPRになる。
松商学園高ではサイドバックとして活躍し、全国高校選手権に出場。順大に進み、英国でのプレーも経験した。「プレーだけでなくサッカーに関わりたい意識があった」と、高校時代から練習試合などで自主的に審判員を務め、大学時代に周囲の勧めもあって審判員資格を取得。順大大学院でスポーツ科学を研究しながら日本協会のレフェリーカレッジに通い、13年にJリーグを担当できる1級の資格を取った。
Jリーグでは通算200試合以上を担当。昨季は韓国―コロンビアなど国際試合も担った。「記憶に残っているのは失敗したゲームばかり」と浅田さん。副審としてゴールを認めた判定が、ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)により取り消しとなった経験などを挙げ「判定のミスはピッチで取り返す気持ちでやっている」と話す。
東京都内の印刷会社に勤務し、仕事を終えた後にトレーニングを重ねて週末の試合に臨む生活を続けてきた。昨年末に日本協会からPR契約の要請を受けた際は「即決できなかった」。だが、「誰もがなれるものではない。大好きなサッカーにより深く携わることができる」と決断した。今年1月いっぱいで勤務先を退社し、審判員一本で勝負する道を選んだ。
信州で過ごした少年時代に芽生えた「人前で表現したい。外の世界に出たい」という気持ちが、今も原動力になっている。VARなどテクノロジーの進化によって審判員に向けられる目の厳しさは増しているが、「気張ってもうまくいかない。主審に『浅田がいるから大丈夫』と安心してもらえるような存在でいられることを第一に考えて頑張りたい」と足元を見つめている。(板倉就五)