JICA協力隊員リレーエッセイ=ブラジル各地から日系社会を伝える(13) 名前で呼び合い敬語は少ないが、なぜか心温まる日常 第1アリアンサ 赤羽晋治
「ようこそ、赤羽晋治先生」―この言葉に迎えられ、赴任初日の夜に開かれた歓迎会には、老若男女大勢の村の人たちが集まってくださいました。皆さん口々に私のことを「先生」「先生」と呼んで歓迎してくださいました。 日本語学校の関係者だけでなく、大勢の村の人たちが集まってくれたことに、日本語学校の先生という存在の大きさを感じ、気が引き締まるとともに、この人たちのために頑張ろう、と思ったことを今でも思い出します。 私の赴任先である第一アリアンサ村はサンパウロ州の北西に位置する、人口約1千人の小さな村です。主に長野県出身の移民が開拓したこの村では、今もなお、うどん会や盆踊り、運動会、野球大会などの日本の行事が現地の人の力だけで行われています。私はそんな第一アリアンサ村の日本語学校で日本語教師として活動しています。現在は週2回の授業に加え、残りの3日を折り紙などの日本文化、スポーツ、料理などを行う「学校開放」と位置付けて活動しています。 第一アリアンサ村では毎週金曜日の夜に「フェイラ」と呼ばれる青空市場が開かれ、村の人たちの憩いの場となっています。フェイラに行くと毎回「先生、こっちこっち!」と村の人たちが声をかけてくださいます。そして「はい、ビール」とどこからともなくビールが出てきて、飲食を共にしてくださいます。
アリアンサには日本に出稼ぎに行ったことがある方も多く、今でも多くの方々と日本語で話をすることができますが、そんなアリアンサの人たちの日本語を聞きながら思うことがあります。それは「敬語の少なさ」です。「先生、ブラジルにはもう慣れた?」「先生、もう一本ビールどう?」初対面の時から敬語はなく、まるで昔からの友達のように話しかけてくださいます。 それは村人同士も同じで、お互いに下の名前で呼び合うことが一般的です。歳を聞くと10歳以上離れていることも日常茶飯事です。日本語の敬語の難しさや、ポルトガル語で敬語や敬称にあたるものが日本に比べて少ないことが影響しているのかもしれません。ですが、それ以上に敬語がなくても気にしないくらい住民同士の関係性が良い証だと思っています。 フェイラと言えば、今でも鮮明に覚えていることがあります。何人かでフェイラで飲んでいた際、気を利かせて他の人にお酌をしたら「先生、ブラジルではお酌なんていいから一緒に飲もうよ!」と言われたのです。日本の飲み会でお酌をすることが当たり前になっていた私にとって、それはとても衝撃的でした。
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