専業主婦から47歳で起業した美容家、東京進出でピンチ!乗り越えられた運命の出会い
チャンスには苦労がつきもの。大きな成功の下には、たくさんの葛藤や失敗が積み重なっていることが往々にしてあります。 【画像】大分時代の那賀さん 美容家の那賀洋子さんも、そんな苦労を経験した一人。現在は筋膜のトレーニングから美肌を目指す「顔ジム」を提唱し、エステサロンや化粧品製造メーカーなどの会社を経営していますが、ここまでの成功を築くまでは、たくさんの失敗がありました。 今回は那賀さんに、東京進出を決めてからの紆余曲折と、失敗から学んだメソッドを伺いました。
東京進出で起こった最大のピンチ
地元の大分で、エステサロンを開業した那賀さんは「自分が開発したきれいになる方法を、もっと多くの女性に伝えたい」と思い、東京進出を考え始めました。 「周囲からは『絶対に失敗する』と言われていましたが“自分の作ったものは世界共通なのでは!”と思い、まずは日本の中心である東京へ行こうと決めました!」(那賀さん) しかし、勢いで東京に出たものの、マンションを借りただけで、宣伝費もなく、集客できず途方に暮れる日々。そのころは離婚をして子供は自立していましたが、“せめて自分の生活や老後を子供には迷惑かけたくない!”と思って必死でした。 ところがそんな中、一つの出会いがありました。
他人がボスになり顧客を持っていかれた
「なんとかしないと…と大分県民会に参加して、いろいろな人にサロンを紹介して回りました。そこで、応援団になりたいと申し出てくれたAさんと出会ったんです。 Aさんは行動力があって、どんどんお店がうまくいくよう進めてくれました。『この人がいれば成功できる……!』と感じて、ホッとしたのを覚えています」(那賀さん) Aさんの求心力に、お店は軌道に乗り、順調に顧客も増えていきました。 ……が、すっかりお店はAさんが仕切るようになり、那賀さんは自分の立場が危うくなっていることに気づいたのです。 「Aさんに頼りきりになってしまい、いつの間にか私ではなく、Aさんがボスになっていました。気づいた時には“時すでに遅し”。結局お客様も持っていかれてしまったんです。でも、悪いのは他人に頼りきってしまった私。自分の甘さゆえに、すべてを失いました……」(那賀さん) 勢いこんで始めた東京進出でしたが、思いがけない形で再び大きな壁にぶち当たってしまったのです。