新宿西口地下の広い書店で大島弓子の漫画を買った話
ディープな音楽ファンであり、漫画、お笑いなど、さまざまなカルチャーを大きな愛で深掘りしている澤部渡さんのカルチャーエッセイ連載第11回。今回は、高校時代に母の影響で読み始めて衝撃を受けた大島弓子作品のお話です。 スカートのリハーサルを終え、本屋にでも寄ろう、と新宿のルミネのエレベーターに乗り込むも、表示されたフロアーのどこにも「本屋」や「ブックファースト」の文字がない。調べてみると少し前に閉店してしまっていた。つらい。しかし、たまに寄ってただけの私にとってなにがつらいというのだ。「こうなってしまったんだったら悲観的になるなよ、おまえはおまえの世界を守ろうと努力をしろ、するんだよ」と呪文のように唱えようとしてみる。毎日とは、生活とは、営みとは、社会とは。 それでも私は本屋に寄りたい、この気持ちに正直でありたい、と改めて調べてみると新宿西口のコクーンタワーの地下にブックファーストがあるということがわかった。コクーンタワーに行ったことがなかったため、夜中の人が少ない新宿をうろついて、戸惑って、あわあわしてようやく入店。欲しかった新刊の漫画を数冊手に取って、レジに向かおうとした時、思い出したようにまた店の奥に戻った。ここまで広い本屋だったら……と大島弓子さんの漫画を探すことにしたのだ。先日、私もたぬき役として出演したアニメーション映画『化け猫あんずちゃん』のティーチインの打ち上げで大島弓子さんの話題になった。 私は母の影響で大島弓子さんを読み出した。高校にあがり、漫画を読むことが改めて楽しくなって、音楽を聴くように漫画を読んで興味を拡張しているその最中だったので、母親の本棚に一冊だけ入っていた文庫版『海にいるのは…』に収録されていた「ジョカへ…」を読んだときの衝撃と言ったらなかった。描き込まれた背景と綴られるそれは、理解を超え、物語や、登場人物たちがいる世界が広がる。そのとき私は置いてけぼりになる。置いてけぼりになったそこから改めて物語や、登場人物たちがいる世界をじっと見つめる。その快楽というのは私がそれまで知らないものだった。病みつきになって、とくに大学生の頃、好き好んで読んでいた。1960年生まれの母は確か「1976年までの大島弓子が好きだった」と言っていたが、私は1978年ぐらいまでの大島弓子さんが好きだと、少しずつわかってきた。そう思った理由は「置いて行ってくれなくなった」と感じていたからだった。物語が簡単になったなんていうわけではもちろんない。うまく説明できないのだが、私に向けての作品ではない、と感じるようになった、とでもいうのだろうか。