中川晃教「自問自答する時間がすごく多くなって」上京後の鬱屈した日々を吹き飛ばした運命的なミュージカル
中川晃教は2001年、自身が作詞作曲をした「I WILL GET YOUR KISS」でシンガーソングライターとしてデビューし、同年の日本有線大賞では新人賞を獲得した。また’02年に『モーツァルト!』でミュージカルに初主演すると、文化庁芸術祭賞・演劇部門新人賞や読売演劇大賞・優秀男優賞など様々な賞で受賞を重ね、その後も数々のミュージカル作品に出演し、トップランナーとなった。彼にとって、その生き方が影響を与えることとなった変化「THE CHANGE」とは、いったいなんだったのだろうか。【第4回/全5回】 ■【画像】眉なし・長髪が美しい!中川晃教さんが演じる「音楽の悪魔」のビジュアル■ 今ではミュージカル俳優としても広く世間に知られている中川さんだが、そのデビューは18歳のとき、シンガーソングライターとしてのものだった。そんな中川さんに、シンガーソングライターになりたいと思ったきっかけについて聞いてみた。 「両親の影響です。母は昔、昭和の伝説的な音楽家である古賀政男先生に弟子入りし、歌手としてデビューしたことがありましたし、父親もプロではないですが、ギターが好きでよくフォークソングを歌っていました。 そんな両親だったので、常に音楽が身近にある環境で育ちましたし、僕自身も物心ついた時には自然と音楽をする、歌を歌うということが一つの目標になっていったんだと思います」 こうしてミュージシャンを目指すことになった中川さんの背中を、両親は力強く後押ししてくれた。 「母自身は結婚を機に歌手を引退してしまったので、自分がやり通したかった“歌手という道”を自分の子どもが目指すのなら、それを応援してあげたいという気持ちがあったみたいなんですね。 ある日、僕がピアノを弾きながらどなたかの曲を歌っていた時に、“せっかくやるなら自分で曲を書いてみたら”って言ってくれて、それがシンガーソングライターになるきっかけになりました」
上京で生活が激変、「東京には自然が無いな」
中川さんは曲作りにのめりこんでいく。そして19歳の時に自身が作詞作曲をした「I WILL GET YOUR KISS」で見事にシンガーソングライターとしてデビューした。 この曲は大反響を呼び、第34回日本有線大賞新人賞を受賞。中川さんの音楽家人生はまさに順風満帆なスタートを切った。ところが当時の中川さんの心には、そんな華々しさからは想像できない感情が芽生えていたようだ。 「デビューが決まって仙台から上京してきた時に、事務所がある東京の海沿いのエリアに住んでいたんです。でも東京の海は、自然が豊かな地元の仙台の海と比べると水の色が全然違っていて、暗く濁っているように見えました。街には緑が少ないし、“東京には自然が無いな”と思って暮らしていたんです。 ビルの間から見える太陽と青空だけが僕の気持ちを開放してくれていたんですが、それ以外に目をやると、住んでいたワンルームも決して快適ではなかったですし、レコーディングをしにいくスタジオも、そこに行くために乗る地下鉄も、僕にとっては“暗い空間”という印象しかありませんでした」 シンガーソングライターになるという夢を抱いて上京し、その夢を見事に実現させた中川さんだったが、東京での生活がその心へ徐々に影を落としていった。中川さんは続ける。 「当初は音楽を作るっていうことがとても楽しかったので、それほど気にしていないつもりだったんです。でも体は正直なもので、ひどい肌荒れを起こしたり、昼夜が逆転したりする不摂生な生活になってしまいました。 そのうちに、“いつまでこういう生活を続けられるんだろう”、“このまま行ったらどうなってしまうんだろう”と、どんどん不安な気持ちが心の中で広がっていきました」 体調を崩し、精神的にも追い詰められていった中川さんだが、こうなってしまったのには、当時の活動状況が大きく影響していたようだ。