アニメ映画『クラユカバ』:神田伯山が挑む声優初主演 講談師の技術に頼らない仕事の秘密
稲垣 貴俊
講談師・神田伯山が、アニメーション映画『クラユカバ』で声優初主演に挑んだ。あまたの物語を自らの声で客席に届けてきた伯山は、声優として自分に託された言葉をどう操ったのか。時代やメディアを軽やかに超えてゆく言葉のプロフェッショナルに、その思考とスタイルを聞いた。
神田伯山、アニメーション映画初主演
講談界のトップスター、神田伯山。活動のメインフィールドである寄席をはじめ、テレビやラジオ、YouTubeなど、メディアを問わず精力的に活動し、いまやその名は講談を聞いたことのない層にまで浸透している。 アニメーション映画『クラユカバ』は、そんな伯山が声優初主演を務めた一作。映画『未来のミライ』(18)やTVアニメ「ひそねとまそたん」(18)で声優経験はあったが、全編出ずっぱりでキャラクターの声を担当することはチャレンジだったという。 出演のきっかけは、かねて伯山と親交のあった活動写真弁士の坂本頼光が、本作を手がけた塚原重義監督と10年来の知り合いだったこと。自身も声優として出演している坂本の紹介で、壮太郎役のオファーを受けた。 「正直に言うと、プロの声優の皆さんに対する尊敬があるぶん、自分が出ることには大きな抵抗がありました。最初は断るつもりでしたが、だんだん断りづらくなってきて(笑)。あらかじめ想像していたように、(声優は)まあ難しかったですね。『ん?』って疑問の一音だけを15回くらい撮り直したほど、とことん細部までこだわって作る。緊張感はありましたが、そんな作品に参加できたことは光栄でした」
講談の芝居、声優の芝居
伯山が演じるのは、まだ路面電車が走っているレトロな時代に探偵業を営む青年・大辻荘太郎。ひとりの依頼人が失踪したことから、壮太郎は謎めいた集団失踪事件の存在を知る。解決の手がかりは、ならず者たちがはびこる地下世界「クラガリ」にあった。調査に向かった助手のサキも姿を消し、荘太郎は「クラガリ」へと足を踏み入れる──。 塚原監督が描いたのは、時代設定こそ「昭和」とは明言されていないものの、どこか昔なつかしい街並みに、武装重機や装甲列車が登場する独特の世界観。大正時代の空気もあり、江戸川乱歩に代表される、かつての探偵小説・冒険小説を思い出させるテイストも見どころだ。 小説『D坂の殺人事件』で、江戸川乱歩が名探偵・明智小五郎のモデルにしたのは講釈師(講談師)の五代目神田伯龍だった。伯山は「当時から講釈と探偵には関係があり、講談界には“探偵講談”というジャンルもある。その歴史を踏まえると、今この時代に探偵役を演じられたことは講談界孝行になったような気がします」と語った。 講談師の仕事と声優業でもっとも異なるのは、アニメーションという視覚情報があること。講談と声優では、表現のしかたにもさまざまな違いがあるという。 「講談師って、常に全力で表現するのが仕事ではないんですよ。声優さんは声だけで120%を表現するお仕事だと思い、とても尊敬していますが、講談はずっと全力でやっていると聞く方が疲れてしまう(笑)。だからきちんと力を抜き、本当に強調したいところでポンと力を入れる。極端な言い方をすれば、棒読みに近い方が効果的な場合もあります」 壮太郎役を演じるにあたり、講談のメソッドや特定の演目を参考にすることもなかった。『未来のミライ』の駅員役では怪談の口調を取り入れたが、「あれは出番が少なかったからこそ使えた飛び道具。主役だとそうはいきません」と言う。 「『講談は講談、声優は声優』と分けています。ラジオをやるときもそれは同じで、高座のしゃべりをそのまま持ってきてもうまくいかないので、独自のしゃべりとパッケージを作らなくてはいけません。だから今回も講談師の武器を使うのではなく、自分が出せる声や音をゼロから試行錯誤しました。ただ、講談であれば『この声や音を出せばいいんだな』と自分でわかりますが、声優だとそれがわからない。自我をすべて捨て、監督にすべてを委ねるつもりで臨みました」 ただし伯山は、「それでも講談師としての自分を完全に消し去ることはできないし、講談の手法が結局残った部分もあります」と語る。そのうちのひとつが、特に気合いを入れてアフレコに参加したという2つの場面だ。 「ひとつは冒頭、壮太郎の声を初めて聞いていただく場面。もちろん棒読みではいけないし、壮太郎の人生や過去を匂わせるものにしたいと思いました。もうひとつは、最後の方にある『クラガリに曳(ひ)かれるな』という台詞(せりふ)。監督のOKが出ても僕が納得できず、もう1回やりたいとわがままを言いました(笑)。 講談界で『切れが良ければすべて良し』と言うように、講談は最後を大事にすると良い印象になります。最後が魅力的なら、途中が多少ふわふわしても良い余韻が残る(笑)。中盤も素人なりに一生懸命頑張りましたが、講談らしい力の入れ方だったかもしれません」 また、塚原監督が「歌っているよう」だと形容した台詞まわしもポイントのひとつ。伯山は「講談は言葉のしゃべり方にリズムがあるのが特徴のひとつ。たとえ僕が声優をやっていると知らずに観ても、聞く人が聞けば、講談師がしゃべっていることはすぐにわかるはず」と話す。「逆に言えば声優さんがやらないことなので、わざわざ講談師が演じた意味が出て良かったのかなと思います」