社説:谷川俊太郎さん 言葉の力を信じた生涯
詩人・谷川俊太郎さんが地球を去った。92年の滞在だった。 <人類は小さな球の上で/眠り起きそして働き/ときどき火星に仲間を欲しがったりする>「二十億光年の孤独」 谷川さんの詩に触れたのは、いつ、どこでだろうか。国語の教科書、アニメの主題歌、コーヒーのCM、図書館の絵本。中には学校の校歌で歌った人もいるかもしれない。「生きる」は発表から40年後の東日本大震災で、朗読や交流サイト(SNS)を通じて被災者を励ました。 幅広い世代で、優しい詩やユーモアあふれる言葉遊びが心に刻まれているはずだ。ふと思い出し、つい口ずさむ。これほど親しまれた現代詩人は、ほかにいない。 <カムチャッカの若者が/きりんの夢を見ているとき/メキシコの娘は/朝もやの中でバスを待っている>「朝のリレー」 <空をこえてラララ星のかなた>「鉄腕アトム」 詩の視線はアトムのように宇宙から地球を見つめ、人々の内面へ深く優しく迫る。平易な言葉で、生命の素直な感動、愛、エロス、孤独、死も含めタブーなくこの世を自由に紡いだ。 <いるかいるか/いないかいるか>といった日本語の音による遊び、文字の配列による視覚的仕掛けなど、実験的であり続けた。 社会性が強い難解な作品が正統とされた戦後現代詩の中で、谷川さんは異彩を放つ。日本語を柔らかく解きほぐしながら、誰もが身近に感じる詩の扉を開いた。「大衆的」にとどまらない文学史上の評価は、今後も高まるだろう。 京都はゆかりが深い。戦時中、淀に疎開し、京の言葉の抑揚が体に入ったという。詩の韻律への関心につながったのかもしれない。谷川さん作詞の校歌も京で歌い継がれている。 ベトナム戦争中に反戦歌「死んだ男の残したものは」を作り、対立が深まる現代へ絵本「へいわとせんそう」を発表。近年は言葉の氾濫を憂え、研ぎ澄まされた少ない言葉を投げかけた。人を傷つける言葉でなく、谷川さんがくれた生きるための言葉を社会の多様性と個の尊重に生かさねばなるまい。 詩人の三好達治は、谷川さんの第一詩集の序に<この若者は/意外に遠くからやつてきた/(略)/十年よりもさらにながい/一日を彼は旅してきた>と寄せた。 二十億光年かなたの異星から、そろそろ「くしゃみ」する音が聞こえてきそうだ。