名残は「白球の夢」モニュメント 藤井寺球場跡地のいま
大阪府藤井寺市の近鉄南大阪線・藤井寺駅から西へ線路沿いを歩いてみた。少し歩くと四天王寺小学校が見えてくる。まだ開校10年足らずの新しい校舎の前に、ポツンとモニュメントが置かれていた。よく見ると「近鉄バファローズ本拠地 藤井寺球場跡」という文字が刻まれている。そう、ここはかつて、プロ野球・大阪近鉄バファローズが本拠地としていたホームグラウンドの跡地だ。
1928年開場、2005年1月に閉鎖
藤井寺球場は1928年(昭和3)に開場。1950年からは大阪近鉄バファローズの前進である「近鉄パールス」の本拠地となった。1997年に大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)が完成してからは準本拠地となった。 しかし、高校野球の大阪大会の会場にもなっていたことから、多くの市民らに愛されていた。ところが、近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併の影響を受け、2005年1月に閉鎖となった。
球場正面入り口付近は自転車置き場
当時の写真を見ると、正面玄関付近の広いスペースは自転車置き場として使われていた。 これは筆者の記憶だが、ゲートをくぐり少しカーブになったスロープ沿いには各選手の大きなパネルが飾られていた。そして、それをのぼりきるとスタンドに入れた。 周囲は住宅地。そのためトランペットや太鼓といった鳴り物での応援は禁止されていた。スタンドで応援団が必死で手拍子で観客に応援を呼びかける姿もみられた。
球場跡に設置されたモニュメント
そんな特徴的な球場がなくなって現在は小学校になった。もう球場の面影はほとんどない。だが、先の記念モニュメントが、ここにそうした球場があったことを教えてくれている。 近畿日本鉄道の過去の発表によると、このモニュメントの名称は「白球の夢」(作者:玉野勢三氏)。モニュメントの側面には、こんな言葉を刻まれているという。 「藤井寺球場は1928年(昭和3年)に開場、1950年(昭和25年)に「近鉄パールス」後に「近鉄バファローズ」の本拠地球場として 2005年(平成17年)1月までの長きにわたり、たくさんのファンと感動をともにし、また、高校野球の予選会場として多くの青少年の夢を育んできました」 球場が閉鎖され間もなく13年を迎える。球場の面影はなくても、この記事の写真を見たら、様々な思い出がよみがえる人も多いのではないだろうか。