愛媛の不登校生を支える92歳のカウンセラー 長谷川さん(松山)の衰えぬ情熱
全国で不登校の小中学生が増え続けている。2022年度の文部科学省調査では、新型コロナウイルス禍も影響し過去最多となった。不登校が登校拒否と呼ばれていた1980年代から約40年、当事者や親の苦悩と向き合い、支援を続けているグループが松山市にある。中心となって活躍するのは、6月で92歳を迎える〝レジェンド〟カウンセラーだ。(大植美香) ■やりましょう! 即決で支える会設立 松山市宮西1丁目にある築80年の民家がカウンセリングスペース「麦(ばく)の家」だ。毎週水曜日、居間の指定席に座る代表の長谷川美和子さんは、諭すような口調で語り始めた。 「不登校ってね。百人おったら原因や背景は百通り。型にあてはめることはできん。ただ本気で何とかしようという親の思いがあって、親自身が変わったら、子どもも変わる。それは多く見てきた。最近ではね、発達障害が潜んでいて、本人がずっと違和感を抱いているケースもある。自分の個性を受け入れ『これが自分、これで生きる』と覚悟するまでには長い年月がかかるんよね」 長谷川さんの活動の出発点は1987年11月、「登校拒否を考え支える会」の設立だった。松山市内の病院でソーシャルワーカーをしていた55歳の時、学校に行きたくないと悩む子どもたち3人と相次ぎ出会い、なぜ?と疑問が膨らんだのがきっかけだった。 同じころ、日本キリスト教団松山教会主催の講演会で、全国各地に登校拒否の子どもたちの親の会や支える会が発足していることを知る。 愛媛にはまだなかった。講演会終了後、松山教会の中村博牧師(故人)と目が合った。気持ちは同じだと分かった。「やりましょう!」。その場にいた8人が協力を名乗り出たという。仲間はすぐに30人を超えた。親の会として「麦(むぎ)の会」を月1回開き、無料相談も実施した。 ■踏まれても立ち上がれ 「ムギの会」から「バクの家」へ 「『我が子が学校に行かない』と泣きながら飛び込んで来る人も多かったんよ。私らなんぼでも相談に乗ってね、何の資格もないのに。これではいかんと。当時関わっていた人に勧められ、私は広島まで行って産業カウンセラー資格を取得した。それが(日本産業カウンセラー)協会の四国支部立ち上げにもつながってね」 専門家や大学教授など、多くの協力者を巻き込み奔走した。親の会の活動から数年後には、専門性を高めたカウンセリングにシフトする。踏まれても元気に立ち上がるようにと名付けた「麦の会」は、「愛媛ヒューマン・カウンセリングプラザ」を経て1998年10月、夢を食べる動物の意味を込め「麦(バク)の家」へと衣替えした。長谷川さんは、日本教育カウンセラー協会県支部長も務めた。これまでに関わった子どもたちは4千人とも言われている。
愛媛新聞社