両腕で歩くミャンマーの牧師と合気道開祖の「最後の内弟子」 Vol.13
金儲け以外は何でもできる
「父も母も兄弟のことも覚えているが、うちには〈家族構成一覧表〉がなかった。ジャングルだからな。誕生日を祝う習慣もなかったから、自分がいつ生まれて、何歳なのかは、正確には分からない。ただ、小さな頃から一緒に育ち、一緒にタイまで逃げてきた友達が今年45歳だから、おれも同じぐらいだろう」 ビレイ牧師が生まれ育った村は、ミャンマー・タニンダーリ地方域の山中、KNLAの支配地にあったという。友人の年齢から逆算すると、タイ側へ逃げたのは牧師が29歳の頃だ。当時は、まだ牧師ではないので、ここからはビレイと書く。 「2004年、ミャンマー軍とDKBA(カレン仏教徒軍)、KNLAの戦闘が激しくなって、おれの住んでいた村も戦闘に巻き込まれるようになった。焼き打ちされる日も目に見えてきたから、皆でタイ側へ逃げることになった」 ある夜、父と母、3人の姉妹弟、友人らと共にビレイは出発した。彼には両足がないので象に乗っていたが、中途で戦闘に巻き込まれ、父親は被弾。「即死だったかどうかは分からないが、撃たれて倒れたので、それ以上は見ていない。遅かれ早かれ死んだだろう」。ビレイも象から転げ落ち、付き添う友人と四つ足で逃げた。その場で、家族は散り散りになった。 ビレイは数日間、友人とジャングルをさまよい、偶然行き会ったカレン族の象使いの親切もあって、ようやくタイへの越境に成功したのだという。 「難民キャンプがどこにあるのかも分からなかったから、いろいろな人に聞き回ったら『あなたは可哀そうな人だから、教会へ行けば、なんとかしてくれるんじゃないか』と言われたのさ」 ビレイと友人は教会にたどり着いた。それは教団のコミューンだった。両腕で歩くビレイの姿を見た牧師たちは驚き、彼はただちに受け入れられた。 「ジャングルに住んでいたから、金儲け以外は何でもできる。自分で家も建てられるし、屋根も葺き替えるし、鍬だって」 今と同じように、ビレイは熱心に働いた。求められるまま教団にも入信したが、プロテスタント主流派の信者だった友人は馴染めず、UNキャンプのタムヒンに移ってしまった。 「しばらくして、巡回でやってきた同じカレン族の牧師と仲良くなってね。『ここは息苦しいだろ? おれは、牧師を養成する資格を持っている。おれの教会へ来て牧師の資格をとれば、ここを出られるぞ』。そう言われて、牧師になることにした」
Project Logic+山本春樹