格納庫に並ぶ遺体に見覚えのある靴…悲劇の責任を問い続けた遺族と弁護士の闘い【中華航空機事故30年】
遺品のフィルムに残る両親の姿
名古屋空港で中華航空機が墜落し、264人が亡くなった事故から26日で30年を迎えます。悲劇を2度と繰り返してはならない──。遺族は、事故の教訓を後世に伝える大切さを訴えています。 【動画】中華航空機事故から30年…当時の記録映像と当事者たちの現在 愛知県岡崎市でラーメン店を営む、酒井光男さん。 「当時のものはね、これですね。(遺品の)カメラの中に入っていた、フィルムとして入っていたやつを現像して、これはうちの親父とおふくろですね。2人が寄り添っている写真っていうのが、これが最後」(遺族の酒井光男さん) 台湾へ旅行に出かけた酒井さんの両親。帰りは中華航空の便に乗っていました。出発の前日、こんなやりとりがあったそうです。 「親父が、旅行に行く前に靴を新調したということで『これ新しく買ったからお前のと一緒だよな、履いていくわ』と履いていったんです」(酒井さん)
格納庫に並ぶ遺体の中に見覚えのある靴が
1994年4月26日。酒井さんの両親を乗せた中華航空機は名古屋空港で着陸に失敗し、乗員・乗客合わせて271人のうち264人が亡くなりました。 当時、会社勤めをしていた酒井さんはすぐに空港へ向かい、他の家族とともに待合室に入りました。 「空港の待合室にテレビがあって、それでしか分からない状況だった。どういう状況が起きているか、病院に搬送されたのは何人いるか。全然わかんない状態で」(酒井さん) 一夜が明け、バスで連れて行かれた場所は、空港の格納庫。多くの遺体が並ぶ中、掛けられた毛布を1枚1枚外して必死に両親を探したといいます。 「ずっとご遺体を見ている中で、下半身だけはズボンが焼けてなかった。洗濯のタグが『酒井』と書いてあった、あれ…と思い、ずっと下を見ていったら“その靴”を履いていた。だから『あ~』と思って親父だなと思ってね、もう泣きじゃくりましたね。本当にうわ~っという、あの感情ですかね」(酒井さん)
中華航空とエアバス社を相手取って提訴
事故の責任は、どこにあるのか。 遺族は原告団を作り、中華航空や機体を製造したエアバス社を相手取り、損害賠償を求める裁判を起こしました。 弁護士の海渡雄一さんは、中華航空機墜落事故の裁判で遺族側の代理人を務めました。 「中華航空の重大な操縦ミスということと、エアバスの設計のミスという2つを論点にして、訴訟の提起へまとまっていったわけです。訴訟を起こしてからも非常に長い時間がかかって、一審判決、二審判決、最高裁に進んでいったという経緯でした」(海渡雄一 弁護士)