菅田将暉が成立させた久能整の“フラットさ” 映画『ミステリと言う勿れ』にみる演技の妙
“フラット”だから際立つ、久能整=菅田将暉の微細な変化
菅田の生み出す久能整像がブレてしまっては、作品の印象はまったく変わってしまう。いや、『ミステリと言う勿れ』という作品の前提が崩れてしまう。これはドラマのときから変わらぬものではあるが、120分以上もかけて俳優たちの掛け合いが繰り広げられる「劇場版」だからこそより際立つものがあると思う。 それに整の声のトーンやテンポ、表情に変化が生まれるとき、物語は大きな展開を見せることになるのも面白い。声や表情の変化具合のことではもちろんない。整は感情の起伏が浅く、つねにフラットな人間である。だからこそ演じる菅田は、あまり大きな変化をつけることが許されない。これもまた久能整像のブレにつながってしまうからだ。けれども、整の一挙一動を見つめ続ける私たちは、彼の微細な変化を見逃すことはないだろう。菅田の演技における出力のさじ加減にハッとさせられるはずだ。 このように書くと、久能整のことを“ツクリモノ”のように感じてしまう人がいるかもしれない。たしかに創作物上のキャラクターであることは間違いないのだが、彼は生きている。菅田の表現によって、この世のどこかに存在する人物として命を吹き込まれているのだ。年も変わり、心機一転。柔軟な思考の持ち方を彼から学びたいものである。
折田侑駿