働きすぎとはどの段階から言うのだろうか?
いくつかの調査によれば、フランス人は仕事に追われて働きすぎの状態が常態化しているそうだ。フランスの社会学者マルク・ロリオルが、働きすぎについて語った。 私たちはいつから "働きすぎ "になるのか?夜も日曜日も仕事を引きずって家族や友人と過ごす時間、くつろぐ時間が侵食されるのは、有能であり続けるためには仕方がないことなのだろうか。社会学者のマルク・ロリオルに疑問をぶつけてみた。彼は『L'addiction au travail, de la pathologie individuelle à la gestion collective de l'engagement(ワーカホリック、個人の病理から熱意の集団管理へ)』(Le Manuscrit刊)の著作があり、働きすぎの定義をおこなった上でそこに至る原因を考察している。 仕事のプロセスはますます複雑化し、誰かの仕事ぶりを評価をするのにも、それが別な人の仕事の上に成り立っているとなると判断しづらい。こうして今日、評価は仕事へのコミットメントや熱意によって測られるようになってきている。だが熱意というものが広く奨励されると、仕事へ打ち込みすぎる人が出てきてもおかしくない。その代償はどんなものなのだろうか。
あなたの本ではフランス人の仕事ぶりを分析している。フランス人は働きすぎなのか。
この問題は政治的背景を抜きに語れない。1年余り前、この本を執筆中だった頃、フランス人が働かないという話をよく耳にした。私はそれが本当かどうかを確かめたいと思った。労働時間は時代と共に変遷している。フランス第三共和制(1870年-1940年)の始まりとともに労働時間は減少に向かい、1929年の大恐慌から戦争へ至る状況の中で再び増加した。戦後は1951年までさらに増加し、復興が終わると2003年頃まで徐々に減少に向かった。それ以降の労働時間はほぼ変わらない。ただし最近は企業内での残業時間の増加により若干、上昇傾向にある。働きすぎを私は、「ある時代における平均よりも多く働くこと」と定義した。この定義に従うならば、フランス人はみんな働きすぎとは言えない。しかしながら多くの職業でそうなっている。