地名散歩高槻編「出灰」「芝生」「辻子」読めまっか?
「神内」は「太平記」に詠み込まれた前史
「神内」は「こうない」。地名の由来を追い求めると、足利将軍に辿り着く。南北朝時代を描いた「太平記」に次の下りがある。 『足利義詮が山崎の西、神南の北なる峰に陣を取り給ふ』 この「神南」が「神内」の元の字とされているという。死を覚悟した戦いに向かう際、神のご加護を願う武将たちの精神性がうかがえる。
「上牧」淀川沿いに牧場が並んでいた
「神内」の最寄り駅で、高槻市のもっとも東に位置する阪急京都線「上牧」駅。並走する東海道新幹線が猛スピードで通過していく。 「上牧」と書いて「かんまき」。古代の淀川右岸に3つの牧場が並んでいた。そのうちのひとつ「上ノ牧」が「かんまき」に転訛(てんか)したとされる。馬や牛がのんびり草をはむ。淀川沿いに牧歌的な風景が広がっていたわけだ。 余談ながら、古代の朝鮮半島から日本へやってきた人たちは、一緒に子馬を連れてきたという。大人の馬は大きすぎて舟に乗せられない。しかし、舟と舟の間に板を渡して馬用の運搬スペースを確保すれば、子馬なら乗せることができた。 古代のコンテナ船で運ばれてきた子馬が、飼育技術に長じた専門家によって育てられ、大人の馬に成長する。さらに繁殖させて頭数を増やすための牧場が関西各地に設置されていた。古代遺跡の研究に明け暮れる大阪の学芸員に教えてもらった話だ。 少しおびえながらも、勇躍海を渡ってくる子馬たち。地名はいろいろな知識を組み合わせて考えるヒントを与えてくれる。 (文責・岡村雅之/関西ライター名鑑)