危機の政治と政治の危機(1月28日)
元旦から災害や事件、事故が相次ぐ不穏な年明けとなったが、中でも能登半島地震は、福島県民に大きな衝撃を与えただろう。 近年も各地で自然災害が相次ぎ、災害列島の様相を目の当たりにするたび、災害とそれによる被害が決して一様ではないことを思い知らされてきた。今回の地震も(現時点で)犠牲者の9割が家屋倒壊等による窒息・圧死であり、直接的死因の9割が溺死である東日本大震災とは大きく異なる。無論原発事故の有無という厳然たる差異もあるが、それでも今回の地震はなぜか先の震災を想起させた。それは地震規模の大きさや津波の映像、あるいは被災地域の多くが高齢化・過疎化が進む辺境地だった、某復興大臣の言葉を借りれば「あっちの方」だったからだけではない。 それを感じたのは、首相の被災地視察のニュースに接したときだ。同様のニュースはこれまでの災害時に何度も見てきたが、今回は、先の震災で時の首相が周囲の反対に耳を貸さず、原発の視察を強行して乗り込んだ事案と重なって見えた。
当時の首相にも東電の姿勢などの事情があっただろうが、民間事故調査委員会では、情報の発信と現場への強い干渉という失敗を挙げ、全体として不合格と結論付けている。今回の視察はある程度先例に学んで対応したようにも見えるが、それでもなお“パフォーマンス”批判の声が上がることと、政権がレームダック(死に体)であることは無縁ではない。 先月ある新聞に「内閣支持率、旧民主・菅政権末期に迫る」と、今となっては何とも皮肉な見出しが躍っていたが、東日本大震災発生時、大きなうねりと熱気の中で実現した政権交代への期待は、既に失望に変わっていた。その時の空気感が現在とオーバーラップするのだ。 この時の反動がその後、歴代最長期政権の“一強”時代を誕生させ、それが現在の政治不信の元凶の一つとなったことは疑いない。何より、災害が社会不安を増大させる中での政治不信が復興にどれだけ足かせになるか、私たちが今もなおその渦中にいることを鑑みれば、危機の政治の対応が社会に及ぼす影響はとてつもない。