サッカー・青山敏弘さんの現役ラストゲームは因縁の作陽-水島工業OB戦 幻のゴールがもたらした特別な日
岡山放送
全国高校サッカー選手権の岡山県予選で22年前、誤審で明暗が分かれた一戦のOB戦が12月22日、倉敷市で行われました。「幻のゴール」を決めた元日本代表の青山敏弘さん(38)や誤審をした当時の審判も参加し、因縁の対決に決着です。 (青山敏弘さん) 「あの時の続きがやれたことが幸せだった。みんなの顔を見て 頑張ってきて良かったと思う」 作陽カラーの緑のユニフォームに背番号10、2024シーズン限りで現役を退いた元日本代表の青山敏弘さん。J1広島を3回の優勝に導きリーグMVPにも輝いた岡山が生んだレジェンドは、現役のラストゲームとしてこの試合を選びました。 2002年11月、倉敷市で行われた高校サッカー選手権の岡山県予選、作陽対水島工業の決勝で当時、作陽2年の青山さんが放ったシュートは一度はゴールの中に。しかし、ゴールは認められず、作陽はPK戦の末水島工業に敗れ全国への切符を逃しました。 その後、サッカー協会は誤審を認めましたが「幻のゴール」で注目された青山さんは引退会見で、当時のことを涙ながらに振り返りました。 (青山敏弘さん) 「高校生が経験しなくてもいいような、そんな経験すらも自分にとってはプラスにできたと思っている。諦めなくて良かった。支えてくれた岡山の皆さんに感謝したい」 両チームの当時のメンバーが揃い、22日に行われたOB戦。主審を務めるのは誤審をした当時の審判・青木隆さんです。 (当時の審判 青木隆さん) 「誤審で迷惑をかけたことお詫び…」 ■作陽OBチームの円陣 あれから22年、高校生だった選手たちは40歳近くまで年齢を重ねました。あの試合でサッカーに別れを告げ、別の人生を歩んだ人もいます。その人たちの思いを背負い、青山さんは21年間、プロの世界でボールを追い続けていました。 25分ハーフの真剣勝負が繰り広げられ、結果は作陽が1対0で勝利。「因縁の対決」に決着をつけました。 (水島工業 当時のGK 宮本寛さん) 「あの時から22年、青山選手の引退を機に試合ができて本当にすっきりした」 (作陽 当時の主将 櫻内光太さん) 「(審判の)青木さんも苦しかったと思う。当時は言えなかったと思うが、今となっては「ありがとうございました」という気持ち」 (青木隆さん) 「皆さんに申し訳なかったと言えて、肩の荷が下りた。ありがたいこと」 青山さんは2025年、広島のコーチに就任し、新たなステージでサッカーと向き合います。 (青山敏弘さん) 「自分なりに背負って、ここまでやってきた。きょう最後の最後までその思いを背負って、みんなと戦えたことで特別な日になった。悔いのない、現役生活の最後を迎えられた。「指導者として、また日本一を目指して頑張る」と宣言します」
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