軍記や掛け軸など39点 三重・松阪市歴民で企画展 伊勢国司・北畠氏の230年
室町~戦国、9代の活躍をだどる
三重県松阪市殿町の市立歴史民俗資料館(米倉茂館長)で現在、伊勢国国司として室町時代から戦国時代まで約230年間にわたり活躍した北畠9代をたどる企画展「伊勢国司『北畠氏』230年の足跡」が開催されている。初代の顕能(あきよし)から9代目の具房(ともふさ)までを軍記物語や掛け軸、地図など資料39点を通じて紹介する。12月1日まで。 北畠氏と伊勢国との関わりは、南北朝時代に後醍醐天皇の側近として仕え、「神皇正統記(じんのうしょうとうき)」の作者としても知られる公家の北畠親房(ちかふさ)が1336(延元元)年に伊勢国田丸城(玉城町田丸)を拠点としたことに始まる。親房の三男の顕能(あきよし)が、38(延元3)年に初代伊勢国司となり、その後、南伊勢の各拠点が北朝方の攻撃を受け、42(興国3)年に田丸城が落城すると、北畠氏は、多気(たげ、津市美杉町)に拠点を移し、霧山城(多気城)を築いたといわれる。その後、一志、飯高、飯野、多気、度会の伊勢5郡を治めたが1576(天正4)年、織田信長の侵攻を受けて約230年の歴史の幕を閉じた。 会場には北畠家の盛衰を書いた「北畠物語」全7巻や、拠点となった多気の町並みと周辺が描かれた「勢州一志郡多気図」、8代目の具教(とものり)の直筆の「三幅一対 達磨(だるま)山水図」(大河坂町、浄眼寺蔵)、白粉町の来迎寺に対して、寺内での殺生や権門勢家被官による狼藉(ろうぜき)、軍勢などによる乱入や宿取り、酒などを禁止した「北畠具教制翰(せいかん)」(市指定有形文化財)などが展示されている。 米倉館長は「普段は目にすることができない資料を展示しています。この機会に北畠氏の230年におよぶ足跡を見に来てください」と来場を呼び掛けている。 午前9時から午後4時まで。月曜休館。一般150円、6歳以上18歳以下は70円。