白井佳夫の映画村、自主上映はいかが? 黄金期の日本映画の魅力を楽しむ
シネコンではない、名画座系の映画館でもない、自主上映の映画会に行ったことはありますか? 仙台市の繁華街にあるNPOのサロンを会場とする上映会をのぞいてみました。映画評論家の白井佳夫さんが協力している「白井佳夫の映画村せんだい版」の主催でした。上映メニューは「マダムと女房」(五所平之助監督、1931年)と「伊豆の踊子」(五所平之助監督、1933年)。「マダム」は「日本初の本格的トーキー作品」と紹介されていました。「踊子」の原作はもちろん川端康成の小説「伊豆の踊子」です。「伊豆の踊子」としては最初の映画化作品で、弁士の語りに独特の味わいがある特別編集版でした。
「白井佳夫の映画村せんだい版」は、戦前から1950年代にかけて製作された日本映画を中心に自主上映活動を続けています。会員は40人。会費は無料で、上映会ごとに500円の参加費を払います。世話役の大石洋三さん(77)=仙台市在住=によると、白井さんの考えもあって特に「モノクロ・スタンダード版」の作品の美しさを知ってもらう方針だそうです。 会場となったのは仙台市青葉区一番町にあるオフィスビルの8階。NPO法人「シニアのための市民ネットワーク仙台」がシニア世代の交流拠点として運営しています。上映会の参加費の一部が会場費としてNPOに支払われます。NPOにとっては、貴重な活動費に回るお金ができ、大石さんらにとっては、自主上映の懸案の一つである会場を確保できるわけです。 参加者は50代から80代まで30人。日本映画の黄金期を知る世代とも言えますが、昭和30年代に小学生ぐらいだった60歳前後の世代にとって、古い日本映画はむしろ初体験であることの方が多いようです。「邦画デビュー」を果たすシニア世代にとって、大石さんらが提供する資料や、上映の前後に加えるミニ解説は重要です。 大石さんは映画ファンだった両親の影響を強く受けて、高校卒業と同時に北海道から上京し、新劇俳優石黒達也の下で3年、演劇を学びました。当時のシナリオ作家協会の募集に応じて研究生となりましたが、そこで出合った新藤兼人監督に頼まれ、シナリオ作家の養成所の事務や教育の実務を担当するようになりました。「小津安二郎監督の葬式の手伝いが最初の仕事でした。あのころに活躍していた俳優さんでは特に佐田啓二さんに夢中になったものです」 「東京で小劇場を経営していたころ、長髪にジーパンの若者がいきなりやってきて、映画を作ったので上映してほしいとのことでした。聞けば、8ミリで撮った8時間もので、北海道から九州までヒッチハイクするストーリーでした。入場料は1000円だというのです。ちょうど若松孝二監督の特集を200円で見てもらっていた時代です。なんとも急だし、あまりに強引なので驚きました」 突然、現れたその青年が、後に有名になる原将人監督でした。青年が持ち込んだのは、個人が製作した傑作として映画界に伝わる「初国知所之天皇」(1973年)でした。「上映時間8時間の大作ですが、本当に素晴らしい作品です。わたしにとっては、まさに眼力が試される『踏絵』のような作品でした。いつかみなさんにも見てもらいたい」 (メディアプロジェクト仙台:佐藤和文)