佐賀・唐津くんち11月2日開幕 曳山に「輪島復興祈願」の看板も
11月2日に佐賀県唐津市で始まる唐津神社の秋季例大祭「唐津くんち」で、水主(かこ)町の13番曳山(やま)「鯱(しゃち)」に「輪島復興祈願」と記された看板が掲げられる。能登半島地震で大きな被害が出た石川県輪島市と深いゆかりのある同町が制作した。正取締の前川源明さん(53)は「復興を願う私たちの思いが届くよう、立派な曳山(ひきやま)を披露したい」と意気込んでいる。 【写真】2~13番までの写真と被災地復興を願う看板 水主町の町名は、唐津藩の水軍拠点だったことに由来するとされる。その町名にちなんで1876年に制作された曳山が、「海の王者」とも称される海獣「鯱」だ。火よけの魔力があるとされ、凹凸のある頭と細かなうろこが特徴になっている。 遠く離れた輪島市とのつながりが深まったのは、1930年のこと。老朽化した曳山の一部を残して新造する話が持ち上がった際、輪島塗の行商が出入りしていた縁で、輪島の職人たちが作業に参加することになったという。 曳山に塗られた漆は経年とともに劣化し、金箔(きんぱく)のはがれも目立つようになる。約30年おきに保存修復が繰り返され、2019年11月からは輪島塗の老舗「田谷漆器店」(輪島市)に託した。 修復作業は、古くなった漆をヤスリや小刀でかき落とし、新たな下地を塗り重ねた。顔料の絶妙な配合により、うろこの一つ一つまで輝きが増した。難しいとされる白色も鮮やかに表現され、前川さんは「田谷漆器店のおかげで見事に修復することができた」と感謝する。 そんな折、今年の元日に最大震度7の地震が能登半島を襲った。同社の工場や事務所棟は倒壊し、輪島塗の分業体制を支える職人たちも多くが被災。下地から中塗り、上塗りなど、それぞれの役割分担が機能しなくなった。 同社の田谷昂大社長(33)は一時は絶望感を覚えたものの、強い思いで再建に取り組み、夏頃には震災前の水準にまで回復。9月に「いよいよこれから」と考えていたところ、今度は豪雨災害に襲われた。 震災から立ち直りつつあった生産体制にも影響が出た。職人たちは被災した家族や友人の自宅などの復旧作業にかかりっきりになり、本業がままならない状態に。納期の遅れは10月半ばまで続いたという。 度重なる災害の影響がまだ残る中、田谷社長は今年の唐津くんちを訪れる予定という。そして水主町は、修復された曳山に「輪島復興祈願」と掲げて街中をひく。前川さんは「輪島塗との縁を大切に、心からの応援の気持ちを込めて祭りに臨みたい」と話している。 (向井大豪)