<いざ令和の春>センバツ鳥取城北 高校野球と私/下 山陰放送 山田弥希寿アナウンサー(26) /鳥取
◇挫折も今につながり 山田弥希寿(みきとし)アナウンサー 「18番」。2018年センバツにも出場した広島の強豪・瀬戸内の野球部在籍時、1年生が出場する秋の新人戦で渡された背番号だ。控えの中堅手。小中と主将としてチームを率いた自分が初めて味わった挫折だった。 【動画】センバツ出場校、秋季大会熱闘の軌跡 メンバー入りはしたものの、試合に出られるかわからない。代走または代打か……。それなら「スーパーベンチ」として試合に出る選手らのサポート役に徹しようと前向きに考えた。 試合中は、マネジャーがつけるスコアを見て気付いた相手打者の傾向などをすばやく分析、グラウンドのチームメートに的確な助言を送った。小川成海監督(当時)には、目の行き届いてなさそうな選手の頑張りをこっそり耳打ちした。 転機は2年時の紅白戦のとき。バックネット裏の放送席で“実況中継”を買って出た。当時けがで試合に出られなかった選手を解説者役に、分かりやすく説明。応援の保護者からも「プロ(のアナウンサー)が来ているのかと思った」と賛辞を受け、将来の目標として話し手を意識するようになった。 進学した広島修道大(広島市)ではアルバイト先に地元テレビ局を選択した。プロ野球・広島戦でスコアブックを付ける合間に「アナウンサーになりたい山田です」とあいさつ回りが日課に。局関係者の目に留まり、学生リポーターとして情報バラエティー番組出演も果たした。卒業後の16年から山陰放送(BSS)でアナウンサーを務める。 自ら役割を見つけ、努力することは、高校時代の挫折で身についた。入局2年目からは同業者が当時やっていなかった動画投稿サイト「YouTube(ユーチューブ)」を通じての情報発信も始めた。ベンチ外の球児にはくさらず、自分ができることをやってほしい。たとえ成就しなくても、経験は自信になるはずだから。=この項は小坂春乃、横井信洋が担当しました