格闘技界と芸能界を自在に行き来するノンフィクションの賞獲り男として、細田昌志の快進撃は当分続くのではないか。(松尾潔)
【松尾潔のメロウな木曜日】#87 今年2月に完結した本紙連載「『テレビと格闘技』2003年大晦日の真実」でおなじみ、細田昌志さん。彼の第30回小学館ノンフィクション大賞受賞作『力道山未亡人』がついに出版された。未発表原稿の公募制で知られる同賞の頂点に輝いただけあって、ズドンとした読みごたえと、300ページ超の長さを感じさせないリーダビリティを併せもつ快作に仕上がっている。2021年には『沢村忠に真空を飛ばせた男/昭和のプロモーター・野口修評伝』(新潮社)で第43回講談社本田靖春ノンフィクション賞を獲った細田さんは、続く今回の受賞で作家としての地位を揺るぎないものにしたのではないか。畏友の快挙を心から祝したい。 【写真】トリンドル玲奈はメルケル前首相そっくり? ベリーショートで「激似」が加速か 昨年の初夏、四谷を妻と歩いていたら、銀行の玄関から勢いよく出てきた細田さんと思いがけず邂逅した。Tシャツに短パンという軽装の彼は「そいつに乗って国会図書館に行くところなんですよ、最近の日課で」と停めていた自転車を指差した。これも何かの縁だからと3人で近場のカフェに入り、アイスコーヒーを飲みながら彼が連射する言葉に耳を傾けた。話題は「放送作家時代にジャニー喜多川にかけられた言葉」から「ノンフィクションを書いて生きていくこと」、「鳥取の実家の両親」と多岐にわたりながら、その語り口は滑らかな一筆書きのごとし。ぼくと妻はときに爆笑、ときに落涙しそうになるほどで、彼の職歴にはリングアナウンサーもあったと思い至らずにはいられなかった。その日が初対面の妻も「細田さんならどんなインタビュイーも心を開いてしまうんじゃないかしら」と妙に納得していたほどだ。いま思えば、その時期に彼がかかりきりで取り組んでいたのが、締切が迫った『力道山未亡人』だったんだなあ。 題名通り、同書は戦後復興の象徴として国民的人気を博した〈日本プロレス界の父〉力道山の4人目にして最後の妻・田中敬子さんの評伝。読書欲をいたく刺激する「遺された負債は30億円。英雄の死後、妻の『戦いのゴング』が鳴った」という帯文は、誇張でもハッタリでもない。ページをめくればすぐにわかる。1960年の暮れ、なんと260倍の超難関を突破して日本航空のCAに採用された19歳の女性は、じつに、じつにチャーミングなのだ。だが細田さんの筆があまやかな波に溺れることはけっしてない。また、敬子さんをとりまく若者たちの登場するタイミング、彼らのキャラクターの立ち具合、どれも思わせぶりながら十分に抑制も効いており、著者のバランス感覚の冴えは憎らしいほどだ。当時まだ名もなき若者だった彼らこそは、のちのアントニオ猪木、人気作家・安部譲二、ジャーナリスト大宅映子、あるいはサザンオールスターズ原由子であったりするのだから。 ■細田さん、これ売れるよ。 しかしなんといっても、力道山その人だ。家父長制が色濃い時代と業界にあって〈父〉と謳われた謎多き朝鮮半島出身の男性。粗忽で暴力的な一方で、おそるべき事業センスの主であり、多分にロマンティックでもある。書き手がちょっとでも気を許せばたやすく講談調に堕してしまいそうな厄介な人物だが、ここでも細田さんの踏みとどまる力は本領を発揮。国民的英雄(でありモンスター)の並外れた引力に抗う筆の剛さよ。夢半ばにして途絶えた格闘家の人生の時間を描きながら、大野伴睦、正力松太郎、児玉誉士夫といった戦後日本史の怪物たちを織り込むことにも余念がない。格闘技界と芸能界を自在に行き来するノンフィクションの賞獲り男として、著者の快進撃は当分続くのではないか。そんなことまで思わせる快作である。細田さん、これ売れるよ。 最後に余談を。 1994年、ずっと尊敬するスパイク・リー監督にニューヨーク・ブルックリンのオフィスでインタビューしたときの話。お気に入りの日本の映画監督として、彼は黒澤明、小津安二郎、勅使河原宏の3人の名を挙げた。では映画人以外で知っている日本人は?との問いには「オウ。サダハル・オウ」と即答。はて。ぼくの心には疑問の種が残った。「知っている日本人」として迷いなく王貞治の名を挙げたリー監督は、はたして彼の出自までは知っているのだろうか。 王が日本野球界の至宝であることは論を俟たない。だが台湾籍の彼は、早稲田実業高校時代にエース投手として甲子園で大活躍したものの、国体には当時の国籍規定で試合出場できず、入場行進にだけこっそり加わった。ファンにとってはあまりに有名な逸話であろう。幼いころ伝記でこの事実を知って衝撃を受け、憤りをおぼえた元野球少年の自分は、ほかの監督ならともかく、アフリカ系アメリカ人に対する人種差別問題を作品の核に据えつづけてきたスパイク・リーには、王貞治の出自を正確に知ってほしいと思った。 ぼくの説明を聞いたリー監督は「オウは日本人じゃない? チャイニーズだって?」と驚きを隠さなかったが、すぐに「でも日本で生まれ育ったんだろ?」と問いただしてきた。そうですよとぼくが答えると、ポーカーフェイスを取りもどして「王が日本人じゃないとしたら、国民的英雄をひとり失っちゃうようなもんじゃないのか?」と逆質問してきたのだった。 『力道山未亡人』を読んでよみがえった記憶である。 (松尾潔/音楽プロデューサー)