湘南のRIZAP資金10億円の使い方
9月には今シーズンから加入した、元セルビア代表FWのアレン・ステバノヴィッチとの契約を解除。外国籍選手枠に空きがあるにも関わらず、目先の強化には走らなかった。 クラブ史上で最長となる就任7年目を迎えている曹貴裁監督の指導力に全幅の信頼を寄せた上で、ベルマーレの眞壁潔代表取締役会長は、RIZAPグループからの投資を中・長期的な強化へ充てていく2つの青写真を描いている。 まずは、所属選手の平均年棒を最低でもJ1の平均よりも上げることだ。これまでも曹監督のもとで成長した主力選手が、他のJ1クラブへ引き抜かれる形で移籍してきた。 とりわけリオ五輪でキャプテンを務め、いま現在は森保ジャパンに名前を連ねる遠藤航(シントトロイデンVV)が浦和レッズへ移籍した2015年の年末には、「親会社を持たなければいけない」という思いを眞壁会長のなかで増幅させた。 4月の会見で瀬戸社長と同席した眞壁会長は、2015年末に行われたU-22日本代表の中東遠征へ招集されていた遠藤が、滞在先から国際電話をかけてきたエピソードを涙まじりに明かしている。 「電話の先で『レッズに行かして下さい』としゃべろうとしているのに、その『レッズ』という言葉がずっと口から出せないんですよ。待っているのも可哀想だから、僕の方から『レッズだろう。わかっているよ。お前が日本の中盤を背負 うんだから頑張れ』と言いました」 遠藤はベルマーレへの愛と、家族も養う今後のサッカー人生を考える中で板挟みになっていた。せめてベルマーレ側が、オファーを出してきたクラブと対等な金銭的条件を出せれば状況は変わっていたかもしれない。忸怩たる思いを何度も抱いてきたなかで、共通の知人を介して瀬戸社長を紹介された。 もうひとつの使途は、ベルマーレのアイデンティティーとして死守してきた育成組織のさらなる発展だ。チーム名称を湘南に変え、市民クラブとして再出発したのが2000シーズン。2年後の2002年にはNPO法人湘南ベルマーレスポーツクラブを設立し、U-15部門以下の運営を移管した。 株式会社湘南ベルマーレの経営に左右されないように、という思いがそこには込められていた。しかし、育成組織の規模を少しずつ拡大してきたなかで、運営は限界に近づきつつあったと眞壁会長は明かす。 「育成をやめてしまうか、続けるにしても規模を縮小するしかないのでは、という話を2年くらい前からしていた。そうした状況で、瀬戸社長から『育成はやめないで下さい。育成を続けてもらわないと、ベルマーレに投資する意味がない』と言っていただいたので」 RIZAPグループの傘下に入った4月には、小学生を対象としたスクールの普及部門をNPO法人に残す一方で、県内の3ヵ所で展開するU-15と小学生年代の強化特待クラスの育成・強化部門の運営を、16年ぶりに株式会社湘南ベルマーレへ再移管させている。 歓喜の余韻が残る埼玉スタジアムのピッチで、曹監督、眞壁会長らに次いで胴上げされた40歳の瀬戸社長は、感無量の表情を浮かべながらベルマーレの未来をこう描く。 「今までやりたかったけどできなかったことを、我々が背中を押してあげたいと思っていますし、もしやめたことがあるのであればこの機会に再び始めればいいと考えています。これをスタートとして、次に何を実現させていくのか。考えるだけでワクワクしてきます。僕たちが答えを持っている、というよりは、クラブ、選手、そしてファンの皆さんと一緒になって考えていきたい」 ルヴァンカップ決勝では決勝点を叩き込んだ20歳の杉岡大暉がMVPを獲得し、神奈川大学を1年で中退して加入したルーキー金子大毅も中盤で異彩を放った。インドネシアの地で来年のFIFA・U-20ワールドカップ出場を決めたU-19日本代表には、齊藤未月と石原広教の19歳コンビが招集され、前者はキャプテンとしてチームを束ねている。 曹監督の指導で日々成長する若手が、年俸などの条件面でも胸を張れる状況が生まれる。そして、「湘南スタイル」に憧れるホープたちが、整備された育成組織へどんどん集まってくる。RIZAPグループとベルマーレのコラボレーションは初タイトル獲得を通過点として、現在進行形で大きく花開いていこうとしている。 (文責・藤江直人/スポーツライター)