「一対三の冷戦」と「三つの新戦争」の時代―日本は何ができるのか
文化の対立も多極化
かつての冷戦は、アメリカ・西側=資本主義 VS ソビエト・東側=社会主義、という経済思想の違いが大きく、比較的単純な文化対立であった。 しかし「一対三の冷戦」では、まず宗教文化が、西欧文化(カトリック、プロテスタント)、東欧文化(ロシア正教)、中国文化(儒教、道教、無宗教的現実主義)、イスラム文化(イスラム教スンニ派、シーア派)と多様であり、その社会経済構造もきわめて多様である。 またトランプのアメリカ自国主義は、もはや文化的に「西欧」の範疇を超えつつあり、場合によってはヨーロッパ文化と敵対し、さらに白人第一と移民排斥の姿勢において、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの文化と敵対する可能性もある。つまり全世界的な文化様式間の対立を刺激するところがあるのだ。 この全世界的文化構造において日本は、かつては中国文明(主として文字文明)を取り入れ、明治以後は西欧文明(主として科学技術文明)を取り入れているので、中立的でありうる。また文化的にロシア正教やイスラム教と敵対する歴史もなく、戦後の経済援助をつうじて東南アジアとの関係も深く、世界でも珍しいほど、文化的に偏らない立場を取りうるのだ。 そしてもう一つ重要な変化は、戦争の実態すなわち戦闘様態がこれまでのような「熱い戦争」とは異なったものとなりつつあることである。
三つの新戦争
核兵器が登場した第二次世界大戦以後、ベトナムでも、中東でも、中南米でも、ゲリラ戦が多くなった。アメリカやソビエトのような超大国に正規軍で立ち向かうことは不可能で、カストロやゲバラも、ホーチミンもアラファトも、基本的にゲリラ戦を展開してきたのだ。文明の進展に応じて戦争の様態が変化することは、前に述べたとおりである(THE PAGEの拙著『建築から戦争を考える(下)日本人が最も認識──虐殺戦争は人の道ではない』2018年8月15日配信)。 そして最近は「三つの新しい戦争」が顕著となっている。 第一に、自爆テロである。 これまでも政治テロはあったが、イスラム原理主義の自爆テロ横行によって、犠牲者が多数の一般市民に拡大し、防御がきわめて困難となった。特に2001年9月11日のアメリカにおける同時多発テロ以来、テロリズムは一種の戦争とみなされ、その防御と報復が国家規模となっている。 第二に、サイバー戦争である。 国家の重要機関がコンピューターとインターネットをつうじて運営されるようになると、敵対する相手からネット侵入されてシステムを破壊されることが多くなる。自爆テロと同様、攻撃より防御の方がはるかに高くつくので、報復という措置がとられがちで、多くの国家がこれを戦争行為とみなして、サイバー軍を組織している。現在、アメリカ、中国、ロシアという順で、強力なサイバー軍を有するとされ、これはリアルの陸、海、空軍と並行的であるようだ。 第三に、経済制裁である。 トランプのアメリカは、北朝鮮のみならず、イランやトルコに対しても経済封鎖的な戦略を取り、また自国に失業者がいるのは外国からの輸入のためとして、輸入超過国に高額な関税をかけようとしている。特に中国への対応は、単なる貿易関係を超えた対立関係に発展しそうな勢いだ。これはディールを得意とするトランプの戦略であるというだけでなく、アメリカ全体の意志であるともいわれる。グローバルに緊密化する世界経済の中で、経済封鎖や高額関税などの制裁措置は、経済上の戦争と呼ばれてもおかしくない。 つまりかつての「冷戦」は、ヨーロッパにおける表現であり、東アジア(ベトナム戦争)でも、西アジア(中東戦争)でも、ラテンアメリカやアフリカでも、熱い戦争が繰り広げられていたのであるから、その意味では、今回の方が冷戦という呼称にふさわしいのかもしれない。