「自分が出世競争の奴隷であることが理解できていない」…日本と海外の裁判官を見比べると分かる「裁判官出世システム」の問題
裁判官を“奴隷化”するキャリアシステム
以上の点について、法曹一元制度のアメリカと比較してみよう。アメリカでは、多くの裁判官は就任した裁判所を動かない。より上位とされるようなポストに移る例もないではないが、まれである。また、裁判官の独立は徹底していて、たとえば地裁の裁判官が上級審の裁判官に頭を下げる機会などまずないし、裁判官の間の上下差の感覚もきわめて小さい。というより、裁判所組織が全体としてピラミッド型ヒエラルキーであるなどとは、おそらく、誰も思っていないだろう。日本で類推するならば、むしろ、大学、学者の世界に近いといえる。実際、私は、留学していたワシントン州の最高裁判所を訪れ(アメリカの裁判所には、連邦と州の2つの系列がある)、判事たちと面会したことがあるが、いずれも穏やかかつ学識豊かな紳士で、先にも述べたとおり、日本で類推するなら、むしろ、すぐれた学者の雰囲気に非常に近かった。第18回で分析した日本の最高裁判事の性格類型と比較していただくと、大きな相違のあることがおわかりになるのではないだろうか?さて、あなたは、日本とアメリカを比較して、どちらのタイプの人間のほうがより最高裁判事にふさわしいとお考えになるだろうか? そして、日本型キャリアシステムは、キャリアシステム全体の中でみても、その階層性、閉鎖性、中央集権性において際立ったものであり、構成員に熾烈な出世競争を行わせ、飴と鞭を使い分けてコントロールすることによって、裁判官たちから、その独立性を事実上ほぼ完全に近いといってもよいほどに奪い、制度に屈従する精神的奴隷と化しているのである。 たとえば、同じキャリアシステムでも、現在のドイツの裁判官制度が、ナチス時代に対する反省もあって徹底的に民主化され、弁護士の水準が低いことと相まって、裁判官がむしろ率先して正義の実現のための方向付けを行うような制度となっているのとは、全く異なる。むしろ、日本のキャリアシステムは、支配する機関が司法省から最高裁長官、最高裁判所事務総局に替わっただけで、戦前のシステムと本質的には変化していないのではないかと感じられるのである。 日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行されます。 「同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」「なぜ、日本の政治と制度は、こんなにもひどいままなのか?」「なぜ、日本は、長期の停滞と混迷から抜け出せないのか?」 これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。
瀬木 比呂志(明治大学教授・元裁判官)
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