『君が心をくれたから』象徴的な“雨”の演出 脚本家・宇山佳佑の小説と繋がる世界観
現在放送中の『君が心をくれたから』(フジテレビ系)では、よく雨が降る。これは「長崎は今日も雨だった」という内山田洋とクール・ファイブのヒット曲のイメージもあり、本作の舞台が長崎であることを強調するものだと思っていた。しかし実際のところ、長崎はそれほど雨が多いところではないらしい。つまり、「雨」にはまた違った意味もあるようなのだ。 【写真】『君が心をくれたから』最後の旅行に行き抱き合う永野芽郁×余貴美子×真飛聖 そもそも「雨」というのは、本作の主人公の名前である。雨(永野芽郁)は太陽(山田裕貴)と出会った時、彼を「自分とは正反対の人」と感じ、太陽は雨の名前を知って「同じ空だ」と呟いた。「雨」という1つの言葉から2人の性格の違いがはっきり出てくる印象的な場面である。 また雨は「変な名前」などと言われていじめられた経験から、ジメジメしたイメージのある自分の名前が好きではなかった。大人になってからもその感覚は消えず、ようやく付き合うことになった太陽にこれからは「雨ちゃん」ではなく、名前で呼びたいと言われても嬉しいとは思えなかったようだ。だが、雨の祖母・雪乃(余貴美子)と母・霞美(真飛聖)、そして太陽と共に行った最初で最後の家族旅行で、雨は母から自分の父や生まれた時のことを聞いた。その中で母が自分の名前を「『雨』があなたを幸せにしてくれますように」という願いを込めてつけたことを知ったのだ。 これまで雨は霞美の不器用な愛を上手く受け止められなかったが、このことをきっかけに自分の名前を含めて、少し前向きになることができたようだ。雪乃が亡くなってしまったあとも霞美とは連絡を取り、呼び捨てで自分の名前を呼ぶ太陽には笑顔で返事をしている。逆に彼女の名前を呼ぶだけなのにぎこちなくなってしまう太陽が可愛く見えてしまうくらいだ。 五感や大切な理解者など、雨は目に見えて失うものが多い。それなのに雨の表情が暗くなりすぎず、次第に明るく優しくほどけていっているように見えるのは、それと同じくらい目に見えない大切なものを少しずつ確実に手にしているからではないだろうか。 劇中では、さっきまで晴れていたのに急なにわか雨が降ってくることがある。そこに雨と太陽がいれば、太陽の母の形見という赤い傘が登場し、2人の物語に変化が生まれた。そういう意味で、「雨」は赤い傘を出すための前フリのような役割をしているのだと思っていた。しかし、あの世の“案内人”である日下(斎藤工)と千秋(松本若菜)は「人は死んだらほんのわずかな時間だけ雨を降らせることができる」と言っていた。 この言葉を聞くと、ただのにわか雨も少し違って見えてくる。誰かの人生が終わって降らせた雨が誰かの人生を動かしているのだ。今、雨は“過酷な奇跡”の代償払っているが、奇跡を起こす方法はそれだけではない。「雨」によって日々、小さな奇跡が起きていると考えることもできるのではないだろうか。 本作は脚本を担当している宇山佳佑のオリジナルストーリーであるが、宇山が2018年に集英社から刊行した『この恋は世界でいちばん美しい雨』という小説と同じ世界観で描かれているという。この作品には雨がきっかけで恋に落ちた駆け出しの建築家・誠と、カフェで働く日菜が登場する。2人はある雨の日、一緒に乗っていたバイクで事故に遭い、瀕死の重傷を負ってしまう。しかし目を覚ました彼らの前に、現れた“案内人”と名乗る喪服姿の男女によって2人合わせて20年の余命を授かり、生き返ることに。しかしそれは、互いの命を奪い合うということも意味していた。表紙には赤い傘が描かれており、「雨」、“案内人”など、本作に共通するものもいくつか見られる。宇山も自身のXで、第6話の中でドラマと小説に共通する大切な設定要素が出てくることを明かしている。 小説ファンには嬉しく、ドラマを楽しんでいる視聴者にはさらにドラマを深く楽しめる、この仕掛けは嬉しい。 小説と本作に出てくる“案内人”が同一人物かはわからないが、彼らの仕事は奇跡を与えることだから、これまで雨以外の人たちに出会っていてもおかしくはない。それに、“案内人”は奇跡を与え、それを見届けはするがその人が死ぬところには直面しない可能性もある。そう考えると本作で日下が死ぬことについて「詳しくない」と言っていたのも納得できるところがある。 本稿では「雨」に注目してきたが、“案内人”のように小説とドラマに共通しているものは特にキーアイテムとして大きな役割を果たすのだろう。そのような象徴的な“何か”に注目して見るのも本作の楽しみ方のひとつかもしれない。
久保田ひかる