駅舎とデパートが一体化…国鉄・私鉄・地下鉄が乗り入れた!
小田急・京王・路面電車の進出
元号が「昭和」と改まってすぐの1927(昭和2)年4月1日、小田原急行鉄道の新宿-小田原間が開業した。1925(大正14)年11月の着工からわずか1年半たらず。起点の新宿駅は国有鉄道新宿駅のすぐ西側地上部に設けられて、2面4線のホーム番線は「省線」(鉄道省所管の国有鉄道線を当時こう呼んだ)からの通し番号9~12番線と振られていた。9・10番線が小田原までの遠距離直通、11・12番線が近郊各駅停車用であった。 【写真】1日4万回叩く…行平(ゆきひら)鍋の「国宝級職人」が大阪にいはった! これより先、笹塚-調布間で運転を始めた京王電気軌道が、1915(大正4)年5月から陸橋で国有鉄道線を跨(また)ぎ、甲州街道沿いにあった二代目新宿駅舎の前を通って追分まで延長されていた。追分とは、甲州街道と青梅街道の分岐点で現在の新宿三丁目駅付近。宿場町として栄えた新宿の本来の中心地はこのあたりだったのだけれど、明治期に新宿駅が開設されたのち、繁華街が駅をめざし新宿通り沿いに形成されていったのである。 当初、京王電軌は東京市電へ乗り入れることを想定したため追分の駅は路上で対応していたが、乗入れが実現しなかったことから1927(昭和2)年10月に独自の終着駅を近傍に建設、上層階には松屋デパートが出店した。渋谷の東横百貨店開業は1934(昭和9)年11月なので、それより7年も早く、東京のターミナル百貨店の草分けといえる。しかし、すでに新宿の賑わいが省線新宿駅の方向へ移りつつあったため、この百貨店は短命に終わった。 東京市電の動きはどうか。市電の前身のひとつ、東京市街鉄道の路面電車が半蔵門から追分までレールを伸ばしたのは、1903(明治36)年12月である。京王はこれに接続したかったのだが、市電は独自に追分から新宿通りを経て、1922(大正11)年4月に新宿駅前へ姿を見せるようになったのだ。また同年、のちに都電杉並線となる、荻窪から青梅街道上を走って淀橋へ至る西武の軌道線が、西からアプローチして新宿駅の手前に現れている。