『葬送のフリーレン』は“なろう系”っぽいのか? “さりげない”王道展開を示した物語構造
アニメ『葬送のフリーレン』第2期の制作が9月28日に発表された。 『呪術廻戦』が完結し、10月期のアニメでは『アオのハコ』が注目されるなど『週刊少年ジャンプ』(集英社)作品の話題が続くなか、『週刊少年サンデー』(小学館)原作の作品としていわゆる“覇権”を放送当時に握っていたのが『葬送のフリーレン』だ。『鬼滅の刃』ブーム以降の時代に、ある種のカウンターを成し得た『葬送のフリーレン』のポテンシャルとは何だろうか。 【写真】アベツカサのお祝いイラスト 『葬送のフリーレン』第2期制作決定 本作の特徴の一つとして、主人公のフリーレンが「未亡人」あるいは「なろう系主人公」のようだと指摘されることがある。そのことについて改めて考えてみようと思う。 フリーレン=未亡人(?) フリーレンが未亡人っぽいのは、要するに彼女がヒンメルのことを頻繁に思い返すからだ。いわゆる「ヒンメルならそうした」である。人の心情を読み解くのが苦手なフリーレンが、ヒンメルの行動規範をもとに他者と関わるさいに言うセリフだ。 “今は亡き彼”のことを思い出す仕草はまさに「未亡人」のものであるし、これがフリーレン×ヒンメルのカップル推しを大量に産んだ一因だろう。 そして仮にフリーレンが未亡人であるとするなら、かつてのパーティメンバーの弟子(フェルンとシュタルク)を引き取った彼女は「母」であるかのようでもある。フェルンとシュタルクはフリーレンとヒンメルが間接的に産んだ「子」であり、そして「父」の教え(=ヒンメルならそうした)に従って二人を育てるのだ。 このような擬似家族的構造が、フリーレンの未亡人らしさをさりげなく際立たせている。 そしてフリーレンが未亡人として振る舞うことは、逆説的に父の教え(擬似家族の家父長的性格)を強化するのだが、フリーレンのダウナーな性格がそれを巧みにカモフラージュしているようだ(アニメ版の声優を種﨑敦美が務めたことで、そのパーソナリティはより強化されたように思われる)。『呪術廻戦』や『僕のヒーローアカデミア』、『NARUTO -ナルト-』など、自らの行動規範を自己言及的に宣言しまくるのが「ジャンプ」的な主人公、あるいは「少年漫画」の王道的態度の一つとするならば、『フリーレン』はそれを少しだけひねったかたちで表明している。 つまり未亡人として振る舞うことで作中に一貫して登場する行動規範(ヒンメルならそうした)を確立させつつ、あたかも自分は何も主張していないかのような無気力ぶりを示す。「ヒンメルならそうした」規範は極めて王道でありながら、そこにかなりの回り道を経て辿り着く構造を『週刊少年サンデー』作品が示したのだ。 フリーレン=なろう系主人公(?) フリーレンがなろう系主人公っぽいのは、要するに彼女が作中で最強の魔法使いだからである。なろう系作品ではタイトルに「チートスキル」などと記されることが度々あるように、「最強」の主人公が「無双」する作劇は頻出し、それがフリーレンが最強とされる設定と類似するというのだ。 ただ、フリーレンは作中で最強格のキャラクターではあるものの、どんなときも無敵というわけではない。そもそも魔王もパーティを組まなければ倒せなかったとされているし、ゼーリエはフリーレンの師匠的立場であり、断頭台のアウラにしてもかつての魔力量はフリーレンを凌駕していたようだ。 したがって仮にフリーレンがなろう系主人公っぽいと言うのであれば、単に強いからというだけでなくむしろ、「人の一生分の時間を、経験値を引き継いだまま繰り返せる」というエルフの長寿設定が擬似的に「転生」を意味するからではないだろうか。 つまり「ヒンメルの死」という明らかな断絶が、フリーレンにとっての「異世界(勇者ヒンメルの死からX年後の世界)」を構築し、その世界で彼女は「前世」の経験値を引き継いだまま最強の魔法使いとして立ち回るのである(作中舞台が、「異世界」もので定石のJRPG的ファンタジーであることは言うまでもない)。 したがって「ヒンメルの死」がフリーレンを「未亡人」かつ「なろう系主人公」っぽくしているのであり、かつこの作品の「(擬似的な)家族もの」「(擬似的な)転生もの」としての性格も生んでいるのだ。そしてそれら(特に後者)が巧妙にカモフラージュされることで、『金曜ロードショー』(日本テレビ系)の視聴者層にも届き得る一般性を獲得したのだろう。 すべては「シュタフェル」のために ところで私は「シュタフェル」だが、上述したような構造が二人のイチャイチャをどのように強化しているのかも指摘しておこうと思う。 端的に言えば『葬送のフリーレン』が擬似的に「家族もの」「異世界転生の冒険譚」であることによって、カップルが「同棲」する必然性を巧みに作り上げている。 つまりシュタルクとフェルンは「母」としてのフリーレンの前では擬似的に兄妹/姉弟(どちらを年長とすべきかは諸説ある)であり、異世界の冒険のためのパーティメンバーでもあるので、いつも「同棲」していたとしても不思議ではない。これがたとえば7月期のアニメ『義妹生活』や『恋は双子で割り切れない』のように、明らかな美少女キャラクターの(半)同棲によって恋が進展することが示唆されているような作品だったら、普段深夜アニメを観慣れていない層にとって視聴難易度が上がってしまうだろう(少なくとも『金曜ロードショー』で放送するわけがない)。 すなわち『葬送のフリーレン』という作品は「少年漫画の王道(ヒンメルならそうした)」「なろう系の無双感(最強の魔法使いとしてのフリーレン)」「同棲もののカップル(シュタフェル)」という定番の人気要素を押さえておきながら、同時にそれらをさりげなくカモフラージュする工夫が随所にみられる。その成立根拠としての淡白さを、「勇者ヒンメルならそうしただろうね」と無機質に繰り返すフリーレン(種﨑敦美)のあのセリフが象徴しているかのようである。
徳田要太