「キリスト磔刑の現場」に新説 学会を仰天させたある考古学者の提言
十字架はオリーブ山に置かれたはず?
テイバーによると、十字架刑はオリーブ山で行われたはずという。神殿の聖域から十分離れており、儀式による穢れを避けることができ、またすぐ東の交通量の多い幹線道路を通って都に向かう旅人たちからはっきりと見える高い場所に、十字架は置かれたのだ。ローマ人が、幹線道路に近い丘の上で十字架につけられることを好んだことはよく知られている。 では、仮の墓は聖墳墓教会のある場所でなければ、どこにあったのだろうか。 テイバーによると、墓が十字架刑場のすぐ近くにあったという福音書の記述を考えると、仮の墓もオリーブ山にあったと考えられるそうだ。大多数の学者、歴史家、考古学者が知っているように、オリーブ山には比較的多くの墓があり、その中には考古学的調査に基づいて、一般に知られている福音書の記述名をもたらした墓も含まれている。 しかし、オリーブ山が十字架刑の真の場所であったと仮定しても、こうした墓のどれが仮の墓であると特定できるのだろうか? それは謎につつまれたままである。仮の墓を特定する証拠はない。 テイバーは、「トルコ風の壁の中に入り込んでいるように見える階段が発見された」と述べる。紀元1世紀には、この場所に城門があった。「しかし、城門は完全に破壊されてしまった。学者たちは、この城壁の向こう(背後)にヘロデの宮殿があったことに同意している。しかし、宮殿の下端(ここに見える城壁の反対側に最も近く、すぐそば)には、兵士が駐屯する兵舎、大礼拝所があった。イエスが鞭打たれたのは、このプレトリウムの中、現在の城壁の反対側だったのです」とテイバーは続ける。 現在、壁の裏側にはアルメニア人の駐車場がある。テイバーは、大礼拝堂の遺構が発見されるかもしれないという期待から、将来この場所を発掘したいと考えている。 本稿は「Popular Archaeology」で発表された、Dan McLerranによる「The Jesus Family Tomb」の翻訳である(画像提供:Jeff Jacobs, Pixabay)。
Forbes JAPAN 編集部