80年代バイクブームの立役者となったヤマハ「RZ250」の魅力を考える
クラス最強のパワーとレーサー譲りの装備
カワニシ:僕はRZ250がデビューしたとき中学生で、モロに憧れた世代なんです。250ccで35psという、当時クラス最強のパワーに「スゲー!」と、驚いて、雑誌の「250ccだけど400ccにも勝てる」なんて記事を読んで興奮したり。いったい何をもって“勝つ”のかわかりませんが(笑) 佐藤:当時、バイクに乗るのは常に“戦い”だったんですね。時代が変わっていてよかった(笑)。で、実際に乗るとどんな感じなんですか。 カワニシ:車体がコンパクトで、走り出すと「軽い!」って驚きます。車両重量は139kgだったから、当時のバイクとしても軽いほう。エンジンは当時のヤマハの市販レーサー「TZ250」と同じボア・ストロークで、さすがにレーシングマシンほどでピーキーはなかったけど、低回転ではモワーっとしていて、パワーバンドに入るとカッキーン!と加速する。速く走らせるにはテクニックが必要という感じだったかな。 佐藤:車体全体もそれまでの70年代のバイクに比べるとすっきりしているというか、世代が変わった感じがしますよね。 カワニシ:見た目の印象で大きいのは、リヤサスペンションがそれまでの2本サスからモノサス(1本サス)になったことですね。これは市販ロードスポーツモデルとしては初で、キャストホイールのデザインもかなり斬新だったと思います。 佐藤:RZだったら、今でもわりと普通に乗ることができそうです。中古車価格も旧車・絶版バイク専門店「ウエマツ」のホームページを見ると相場は200万円前後ぐらいだから、頑張れば手が届くかな……と思ったりして。
フォロワーを生み、2ストマシンを延命させた
カワニシ:RZには、排気量違いの兄弟車「RZ350」があって、こちらも絶版車市場では一定の人気があるんです。100ccの違いですが、パワーはRZ250より10ps大きい45psだった。その結果、パワーウェイトレシオは3.17kg/psと当時の750ccクラスと同等だったので、“ナナハンキラー”と、言われたんです。 佐藤:“キラー”って(笑)。当時のライダーはよっぽどバトル好きだったんですね。 カワニシ:排気量が大きいぶん、低速トルクがあってパワー特性もおおらかだったので、こちらのほうが乗りやすかったけど、350ccは車検があるので、日本国内での販売台数はあまり伸びなかったんです。そのぶん希少性は高くて、いま日本で流通している個体の多くは海外から輸入されたモノですね。 佐藤:そう言われると、RZ350にも乗ってみたくなるなあ。僕の愛車ホンダGB350は最高出力20psだから、同じ排気量なのにパワーが倍以上違うなんて! カワニシ:RZはヤマハが“最後の2ストローク・スポーツ”というつもりで開発した、と言いましたが、このバイクが大ヒットしたことで、他のメーカーも250ccのスポーツバイクを続々と投入していくんです。82年にホンダが4ストロークで同じ35psを発揮するVT250Fを発売し、83年にスズキが45psのRGBΓ(ガンマ)250を投入し、いわゆるレーサーレプリカ・ブームが巻き起こっていくという。 佐藤:RZ250はまさに市場の流れを変えた、エポックメイキングなモデルなんだ。 カワニシ:ヤマハ自身もRZの後継として、85年にフルカウルを纏った「TZR」シリーズを投入します。90年代に入るとレーサーレプリカは衰退していき、90年代末には2ストロークのスポーツバイクはほぼ消滅するですが、結果としてRZ250の登場が、2スト・スポーツを20年延命させたと思うと、やはりすごいモデルだなと。 佐藤:そういう背景やストーリーが、絶版旧車の魅力なんですよね。だからそういうことをちゃんと知って乗りたいなあ。やばい、これはハマりそうな気がする……。
【プロフィール】佐藤友祐(さとうゆうすけ)
96年6月11日生まれ、北海道札幌市出身。男女混成ダンス&ヴォーカルグループ「lol(エルオーエル)」所属。「avex audition MAX 2013」でアクター部門グランプリを受賞。lol加入後は、アーティスト活動だけでなく、俳優やモデルとしてもマルチに活躍中。 文・河西啓介 写真・安井宏充(Weekend.) スタイリスト・堀直樹 ヘア&メイク・山田佳苗 編集・稲垣邦康(GQ) 取材協力・UEMATSU