「166cmの小柄な身体で198cmの相手に…」引退発表のラグビー日本代表・田中史朗 ベテランラグビー記者が振り返る“衝撃の1シーン”の記憶
その呟きに、会見場は笑いに包まれた。 「せっかくガンバって泣かんとったのに……」 4月24日に行われた、田中史朗の引退会見。冒頭の挨拶では声を詰まらせながらも涙は出さずに乗り切った。その後の質疑応答では質問者の目をまっすぐ見据えてひとつひとつの質問に丁寧に答えた。指導者を目指す上で心がけることを聞かれれば「厳しさ」をまっさきにあげ、子どもたちへ伝えたいことを問われれば「世界は甘くない。日本だけが努力しているわけではない」と、世界と戦ってきた覚悟を踏まえて答えた。 【写真】「これは衝撃的な身長差…!」自分より30cm以上大きな198cmの選手と166cmの田中…強豪ウェールズ撃破の「衝撃シーン」やW杯でも活躍した現役時代の田中も見る そんな田中だが、質問タイムとフォトセッションが終わったとき、サプライズで日本代表の後輩、松島幸太朗と松田力也が花束と記念品を手に現れた瞬間、涙腺は崩壊。目頭を押さえてうつむき、冒頭の台詞を発したのだった。 ラグビー日本代表のスクラムハーフ(SH)としてワールドカップ3大会に出場、日本代表キャップ75、日本人初のスーパーラグビープレイヤーであり、歴史に残る2015年ワールドカップの南アフリカ撃破、2019年日本大会での8強進出……その勲章を挙げればキリがない。だけど、田中フミといえば、思い出すのは「涙」だ。
「ラグビー人気を自分たちが落としてしまった」
記者が忘れられないのは2012年の秋、スーパーラグビーのハイランダーズと契約できたことを報告した囲み取材での涙だ。 その前年、ニュージーランド(NZ)で開かれたワールドカップに田中は初めて出場したが、日本代表は3敗1分とひとつの勝利も挙げられず、帰国した成田空港には出迎えのファンもメディアもいなかった。そのとき田中は「日本ラグビーの人気を自分たちが落としてしまった。これを元に戻すのが自分たちの責任」と誓っていた。 日本人が海外で戦えることを実証するため「世界最高峰リーグ」「ラグビー版メジャーリーグ」スーパーラグビーへの挑戦を所属していたパナソニック首脳陣に直訴し、2011年のシーズン終了後にNZへ。三洋電機時代からペアを組んでいたトニー・ブラウン(のち日本代表アシスタントコーチ)の伝手を辿ってダニーデンのローカルクラブでプレーし、ITMカップ(NZ国内選手権)オタゴ代表でのプレーを経てハイランダーズとの契約を勝ち取り、エディー・ジョーンズHC就任1年目の日本代表に遅れて合流したのがその日だった。 まるまる1年がかりのプロジェクトが成就した日、取材場所にあてられたホテルの一角で、田中は唐突に、人目も憚らずに涙を流し、嗚咽を漏らしながら呟いた。 「スーパーラグビーの選手になるのをずっと夢見ていた。身体が小さい日本人には限界なのかなという思いに襲われることもあったけど、それを乗り越えることができた。自分をほめてあげたいです」 感情の発露は、責任感と覚悟の裏返しだった。 前述の2011年ワールドカップから帰国したあと、田中は「叩いて下さい」と言った。そのときに限らない。日本代表が不甲斐なく負けたとき、否、強豪相手に良い内容の試合をしたとしても負けたときは「遠慮なく叩いて下さい」と言うのが口癖だった。日本代表のジャージーを着てプレーすることにはそれだけの責任がある――その思いは誰よりも強かった。 選手としての能力が突出していたわけではないだろう。 パスやキックの上手さ、足の速さ、タックルの強さなど、個々の技能を見れば、歴代の名手のみならず同時代のSHにも、田中より優れた才の持ち主は少なからずいた。だがラグビーはポテンシャルの足し算で勝負が決まるわけではない。それを教えてくれるのが田中だった。166cmの小柄な身体で、大きい相手にもひるまず立ち向かっていった。
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