「お客様がいるとこならどこでも...」中田カウスがかつて修行していた「ヤバすぎる場所」
1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、転落していく。そんな彼女を人気漫才師中田カウス・ボタンのカウスが「今があるのは彼女のおかげ」とまで慕うのはいったいなぜか。 【漫画】「だから童貞なんだよ」決死の覚悟の告白に女子高生が放った強烈な一言 「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。 『踊る菩薩』連載第3回 『「ご供養かなと思ってね...」今明かされる吉本の「売れっ子漫才師」と「伝説の踊り子」との”意外な関係”』より続く
爆笑王への弟子入り
しばらくすると、カウスのバイト先に中田ダイマルがやってきた。ラケットとのコンビで、「昭和の爆笑王」と呼ばれた漫才師だった。カウスとボタンはダイマルに頼み込んで弟子にしてもらう。 ダイマル・ラケットは松竹芸能の所属である。師匠に頼めば、カウス・ボタンも同じ事務所に入って道頓堀角座の舞台に立つのはさほど難しくない。だが、カウスはその道を選ばなかった。 「いろんなところで勉強したい、足腰を鍛えたいと思いました。何かあったら最後は師匠を頼ったらええんですから」 カウスはコンビの写真を撮って名刺を作り、2人で小さなプロダクションを回った。そして、こう頼む。 「新しくコンビを組みました。どんなところでもいいですから、仕事を紹介してください」
お客様がいるとこならどこでも...
最初は面倒くさそうな顔をしていた相手も名刺を見た途端、優しくなる。「中田」という名前の力は大きい。ダイマル・ラケットは大看板である。 「ダイマルさんとこのお弟子さんかいな。ちょっとやってみぃな。聞いたるさかい」 そこで門付けさながら漫才を披露する。しばらくすると仕事が入る。最初は高知・桂浜のヘルスセンターだった。そこでの評判が悪くなかったのか、しばらくするとあるプロダクションから連絡があった。 「ストリップの小屋(劇場)ならあるんやけど、それでもええか?」 「お客様がいるとこなら、どこでも勉強したいです。ぜひお願いします」 ストリップショーの前座は1日4、5回、舞台に上がり、1回につき20分、漫才をする。少ないながらギャラももらえる。これほどありがたい修業はない。 客は女性の裸を見にきた男性ばかりだ。彼らを笑わせなければならない。「これは相当の勉強になる」と意気込んで出掛けたのが尼崎ミュージック劇場(兵庫県)だった。 『「引っ込め!」大声でヤジを飛ばす男を黙らせた「伝説のストリッパー」直伝の「思いもよらない方法」』へ続く
小倉 孝保(ノンフィクション作家)