「女子アナは会社が成長するための手段」報道キャスター長野智子がフジテレビに感謝する理由
――女性の活躍の場を増やしたいという思いから、2021年春には女性議員の数を増やすための「クオータ制」についての勉強会も主催されていますね。 長野: はい。ただ、私はフェミニズムや女性活躍といった文脈ではなくて、公平性の観点から格差を是正したいと考えています。以前、丸紅の柿木真澄社長が新卒採用で、女性総合職の割合を全体の4~5割にすると明言した際にインタビューをさせていただいたことがあります。こうした格差是正を行うことについて「女性も実力で上がってくれば平等でいいじゃないか」という批判が出ることが多いのですが、柿木社長は「私はあらかじめ不均衡な環境をフェアにしているだけだ」と仰っていて、私はその考えに深く共鳴したんですね。 あらかじめフェアな環境であれば、実力を「平等」に競えばいいけれども、そもそも男女間での条件が同じではないので目線を揃える必要があるわけです。「平等(Equality)」ではなく、フェアではない環境を整える「公平(Equity)」を重んじていく必要があると思っています。
子どもを授かれなかった私が“楽しい人生”を送れるまで
――長野さんは、長期間にわたって不妊治療をされていたそうですね。 長野智子: 47歳くらいまでの8~9年ほど不妊治療をしていました。子どもが生める限界を自分の体で感じて、その信号が鳴り出した時に不妊治療を始めたんです。今となっては思い込みが強かったなと思うんですが、当時はせっかく女性に生まれて健康なのに子どもを持たなかったら損をするんじゃないかと思っていたんですよね。 ただ、不妊治療を始めたのが、長年の夢だった報道番組のキャスターになれた時期と重なってしまって……。当時はフリーランスだったこともあって夢を手放すのが怖かったんです。「子どもが欲しいなら仕事を休んで不妊治療に集中すれば良いのに」という自責の念もあり、その狭間で自分を追い詰めてパニック発作も起こしてしまったんですよね。 不妊治療とパニック発作を抑える薬の飲用は並行できないこともあって、最後にまとめて採取した卵子20個を凍結して、タイミングが来たら体に戻してというのを何度も繰り返していたんですが、結局ダメでした。最後の1個がダメだったらあきらめようと決めていたので、違う人生を生きろと神様が言っているのだと思うようにしましたね。 ――2022年4月から不妊治療が保険適用されます。これは大きな前進ですね。 長野智子: 私が治療をしていた当時は同僚にも言えなかった時代でしたが、世の中の空気はだいぶ変わってきていますよね。ただ、個々の悩みをすくい取ってくれる環境がまだまだ少ない。女性も仕事を続けたくても、子どもを持つことは贅沢だからわがままは言えないと思っている人も少なくないと思います。 不妊治療は期限がわからないので、企業が対応しにくい事情も理解できるのですが、「安心して不妊治療しなさい、絶対に戻ってこられるようにするから」という職場環境を整える動きがあったら、私も違う人生だったかな。企業や職場がもう一歩踏み込んで寄り添ってくれたらいいなとは思いますね。 ――不妊治療を終えて心境の変化はありましたか? 長野智子: ただ一つ言えることがあるとしたら「子どもができなくてもけっこう楽しいよ」ということです。不妊治療をやめる時は、人生が終わるくらいの気持ちでしたけど、あきらめて生きてみると意外と何とかなるんですよね。頑張りたい気持ちがあるなら頑張ってほしいけど「ダメだったとしても意外と楽しい人生が待っているからね」とは伝えたい。 私の場合は、夫がすごく明るい人で「いいじゃん、いっぱい旅行しちゃおうよ」というモードにしてくれた。それから、不妊治療をやめようと決めた半年後に、自分がメインキャスターの番組が決まったことにも救われましたね。子どもが欲しくてもできなかった人は自分の生き方を考える機会が多くなります。そうした葛藤の中で見つけられた、自分のやりたいことや本当にしたいことは、その後の自分を支えてくれると身をもって感じています。 ---- 長野智子 1985年、株式会社フジテレビジョンアナウンス部に入社。1995年、夫のアメリカ赴任に伴い渡米。ニューヨーク大学・大学院で「メディア環境学」を専攻し、人間あるいは歴史に対して及ぼすメディアの影響について研究。1999年修士課程を修了。2000年4月より「ザ・スクープ」(テレビ朝日系)のキャスターに就任。「朝まで生テレビ!」「ザ・スクープスペシャル」「報道ステーション」「サンデーステーション」のキャスターなどを経て、現在は国連UNHCR協会報道ディレクターも務める。 文:佐々木ののか (この動画記事は、TBSラジオ「荻上チキ・Session」とYahoo! JAPANが共同で制作しました)