大阪の選挙回想 構図の多様さ大阪再生の困難物語る!?
中央政治と直結した「保守」対「革新」の対決。保守分裂の骨肉の争い、既成政党に挑む「無党派」タレント候補。大阪府知事選、市長選はこれまで、さまざまな選挙の構図で展開されてきた。今回のダブル選では、「維新」対「非維新」陣営の激しい選挙戦が続く。目まぐるしく変化する選挙の構図の多様さは、大阪の抱える課題の解消が、ひと筋縄ではいかないことを物語る。知事選、市長選で、有権者の関心が高かった選挙の構図を分析してみよう。
71年知事選「保守」VS.「革新」75年は三つ巴
1971年の知事選は、自民推薦の現職左藤義詮候補に、社会(現社民)と共産推薦の新人黒田了一候補が戦いを挑んだ。 中央政治と直結した「保守」対「革新」の鮮明な構図で、黒田候補が僅差ながら勝利を収めた。東京の美濃部亮吉氏、京都の蜷川虎三氏とともに、革新知事が日本の東西軸の拠点を押さえた。 日本経済は戦後復興を成し遂げたものの、高度経済成長のひずみが環境破壊を引き起こし、反公害闘争が大きなうねりを呼んで全国に革新首長を数多く誕生させた。 続く75年の知事選で、早くも選挙の構図に変化が生まれる。黒田知事の府政運営をめぐり、社会党が与党から離反。社会、公明、民社による革新中道路線の統一候補を擁立。自民は元副知事を担ぎ出す。「共産」VS「社公民」VS「自民」という三つ巴の激戦となり、現職の黒田候補が逃げ切った。 共産陣営が単独府政樹立という快挙を達成した半面、その後、黒田知事は野党が多数を占める議会運営で苦境に立つ。一方、敗れた保守、革新中道陣営は、ともに個別の戦いでは知事選に勝利できないという手痛い教訓を学んだ。
79年知事選は現職「共産」VS新人「社公民+自民」
黒田知事が3選を目指した79年の知事選。元副知事の岸昌候補を、社公民陣営と自民陣営が変則的共闘を組んで擁立。「共産」VS「社公民+自民」の構図となった。激戦の末、岸候補が黒田知事の3選を阻止して初当選。 この選挙以降、公害対策などが国の政策に盛り込まれ始めたこともあり、地方選挙で保守と革新が激突するイデオロギー的対決の機運は薄らいでいく。 岸知事陣営は「社公民」と「自民」の変則的共闘で初当選した後、3選目の選挙で、選挙母体を再編成して「自社公民」連合に一本化。共産を除くオール与党体制を整えて、実務型の府民党的立ち位置で府政の課題解決をめざそうとした。 この「自社公民」共闘路線は選挙に強く、相乗り与党各党は政策実行で存在価値をアピールしやすい利点があった。一方で議会と行政の緊迫感が低下したとの指摘を受け、有権者の政治への関心が遠ざかる要因のひとつにもなった。