平安時代末から登られていた最古の富士登山道「村山古道」…富士山はふもとから登るから面白い!
平安時代末に開かれた「村山古道」
富士登山といえば、五合目から登るのが一般的。けれど、吉田口も富士宮口もほとんど森林限界に近く、登山道の近くに木々はない。御殿場口などは、いきなり砂礫の道で頂上目指して登ることになる。そんな登山に飽き足りなさを感じている人たちの間で、今静かなブームとなっているのが「村山古道」だ。 【衝撃画像】神の山に「し尿垂れ流し」…その場しのぎの対策で、”富士山が壊れていく”… 村山古道とは、富士山南麓の村山集落(静岡県富士宮市)から富士宮口六合目までの標高差2000mの、富士山最古の登山道。鎌倉時代になると、修験者の修行のための「富士行」に使われるようになった。 村山古道に行く道はさまざまあるが、その一つが田子の浦海岸からのルート。 「3月末にその道を村山集落まで歩くと、途中、民家の庭先の草花や満開の梅が目を楽しませてくれる。運がいいと桜が咲き始めていることも。 初夏になると、村山古道にはイチリンソウやヤマシャクヤク、ミツバツツジ、ヨウラクツツジなどの花が咲き始めます。夏はミズナラやブナが木陰を作り、台湾から渡って来る蝶・アサギマダラが舞う。 秋になると広葉樹は紅葉して、五合目のカラマツは真っ黄色になる。いつ歩いても飽きることがありません」 こう言うのは、登山家の畠堀操八さん。 明治末には大宮(富士宮)からの新しいルートが開かれたため、村山古道は荒れ果ててしまったが、昭和の終わりごろ、富士宮市郷土史同好会と村山集落の人たちによって発掘・整備された。しかし、その後の台風による倒木などで塞がれてしまった道を再び歩けるように整備した中心人物が畠堀さんだ。 ◆戦国時代から「富士登山ツアー」があった!? ところで、平安時代末に開かれた登山道だということは、それまでに富士山に登った人はいなかったのだろうか。 「平安時代中期に都良香(みやこのよしか)という漢文学者が書いた『富士山記』の中に、今の富士山頂と同じ風景の描写があります。おそらく地元の猟師が道に迷って登ったことが都に伝わって、それを書き記したのでしょう。 その後、僧侶・頼尊(よりたか)によって祈願のために富士山に登る “富士行”が始められ、村山古道で修行する『村山修験』が形づくられたのではないかと考えられています」 鎌倉時代・戦国時代の富士山信仰は村山修験が中心だったそうだが、 「戦国時代の末、藤原角行という行者が新しい富士山信仰を提唱します。 山伏が行う修験道のような厳しい修行は必要ではなく、日常生活規範を中心にしたやさしい教義のもと、旅費を積み立てて誰でも富士山に参拝できるという『富士講』というシステムが生まれ、江戸を中心に関東一円の庶民の間で大流行します。 その結果、江戸から近い中山道経由で富士吉田口の登山道が大繁盛し、古代から信仰の対象だった伊勢原市の大山に参拝する大山詣りの延長として須走口登山道も発展します」 登山ができない冬の間は、修験者たちは全国に散り、富士行に参加する人を募る。そして、その人たちを引き連れて富士山に登っていたとか 。 「自分が行けない人は、自分の代わりに札を収めてもらうよう、修験者に頼んだりしました」 なんと、富士登山ツアーは戦国時代から始まっていたのだ。 村山古道にとって壊滅的な打撃となるのは、明治新政府による仏教排斥運動・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)政策だ。修験道は禁止され、村山古道から仏教施設は破壊一掃され、大宮からの新道に登山客を奪われ、いつしか樹木や藪に覆われてしまったという。 ◆火山特有の景観も見どころ かつての村山修験の登拝路をたどって、田子の浦海岸から村山道、村山古道、富士宮口ルートを登って富士山頂へというツアーを、畠堀さんが確立して今年で11年目。 「村山古道を歩くと、札打場、中宮八幡堂、笹垢離(ささごり)、一ノ木戸跡などなど、今でも修験の遺跡を見ることができます」 富士山ならではの自然に接することができるのも村山古道の魅力だと畠堀さんは言う。 「富士山本体はたかだか1万年前にできた新しい火山です。 富士山は溶岩流が冷えて固まった岩石と火山灰によって作られ、火山灰の上には草や木が生長しますが、岩石の上には苔しか生えず、岩石のすきまから木々が枝を広げている。『溶岩樹型』も見ることができます」 溶岩流が森林に流れ込むと、木は燃えてなくなり、煙突状の鋳型が残る。これが溶岩樹型で、村山古道ではさまざまな形状の溶岩樹型を見ることができる。 五合目から登ってご来光を拝むのも捨てがたいが、ふもとからゆっくり富士の自然を楽しむ山歩きもおすすめだ。 畠堀操八 広島県生まれ。高校時代から山歩きを始め、以来60数年間、国内の多くの山を歩き回る。最近は明治・大正・昭和前期の新聞をめくって富士山データベースの作成に力を入れている。山樂カレッジ事務局長。 取材・文:中川いづみ
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