曙さんを「プロレスの師匠」武藤敬司さんが悼む…「豪快でね。いい意味で昭和の雰囲気を感じさせる人でした」
大相撲の第64代横綱でプロ格闘家としても活躍した曙太郎(米国名チャド・ローウェン)さんが、心不全のため、4月上旬に東京近郊の病院で死去していたことが11日、分かった。54歳だった。2017年にプロレスの遠征先で倒れてから入院生活を送り、リハビリに励んでいたが、容体が急変した。ハワイ・オアフ島出身、203センチの巨漢で史上初の外国出身横綱となり、同期生の若乃花、貴乃花の“若貴兄弟”と1990年代の相撲ブームを盛り上げた。プロレスの師匠と慕われた元プロレスラーの武藤敬司さん(61)が悼んだ。 * * * 曙さんがプロレスラーとしてのデビュー戦で相手を務めたのが、俺が代理人を務めるグレート・ムタだった。 2005年8月4日、両国国技館でムタと対戦したんだけど、彼は、米国ハワイ育ちということもあって最初からプロレスのなんたるかを理解していたよ。ある意味、日本人レスラー以上にプロレスLOVEを感じさせる男で非常にスマートな人だった印象がある。 その後、フリーとして当時、俺が社長を務めていた全日本プロレスに参戦し俺のことを「プロレスの師匠」と仰いでくれてね。俺も「武藤部屋」と掲げて曙さんにプロレスを教えたんだけど、あれほどの巨体に加えて感性も豊かで日本人にはない独特のものがあった。しかも大相撲で横綱まで極めたのに、変なプライドやこだわりもなくて、プロレスに熱中してくれて、ネームバリューは全国どこへ行っても誰もが知っているわけだから、社長としてすごく助かったし今でも感謝してますよ。 リングを離れた時は、酒の飲み方、飯の食い方が横綱まで行った人だから豪快でね。いい意味で昭和の雰囲気を感じさせる人でした。あと思い出すのは、第64代の横綱だから64という数字にこだわりを持っていてね。そんなところも憎めないというか、愛らしいところもあったよね。 闘病生活に入ってからは、会うこともできなくて今は寂しさはあるよ。ただ、闘病生活が長かったから今は、お疲れさまでしたと言葉を贈ります。(武藤 敬司)
報知新聞社