「枯山水」も「ふすま」も…「日本文化の本質」とも言える「驚きの発想力」
「わび・さび」「数寄」「歌舞伎」「まねび」そして「漫画・アニメ」。日本が誇る文化について、日本人はどれほど深く理解しているでしょうか? 【写真】「枯山水」も「ふすま」も…「日本文化の本質」とも言える「驚きの発想力」 昨年逝去した「知の巨人」松岡正剛が、最期に日本人にどうしても伝えたかった「日本文化の核心」とは。 2025年を迎えたいま、日本人必読の「日本文化論」をお届けします。 ※本記事は松岡正剛『日本文化の核心』(講談社現代新書、2020年)から抜粋・編集したものです。
漢に学び、漢から離れる
ここでは、いくつもの日本のコンセプトが「和漢の境」をまたぐことによって成立してきたという顛末を話したいと思います。 和漢の境をまたぐとは、中国(漢)と日本(和)の交流が融合しつつ、しだいに日本独自の表現様式や認知様式や、さらには中世や近世で独特の価値観をつくっていったということです。 これはおおざっぱには、次のようなことを意味しています。 アジア社会では長らく中国が発するものをグローバルスタンダードとしての規範にしてきたのですが、そのグローバルスタンダードに学んだ日本が、奈良朝の『古事記』や『万葉集』の表記や表現において、一挙にローカルな趣向を打ち出し、ついに「仮名」の出現によって、まさにまったく新たな「グローカルな文化様式」や「クレオールな文化様式」を誕生させたということです。 しかも、その後はこれを徹底して磨いていった。何を磨いたかというとクレオールな「和漢の境」を磨いていったのです。 なぜ、このようなことをしたのか。なぜそんなことが可能になったのか。たんに知恵に富んでいたわけではないのです。 2、3の例で説明します。
枯山水と日本的「引き算」
たとえば禅宗は中国からやってきたもので、鎌倉時代には栄西や道元はじっさいに中国に行って修行もしています。 しかし、日本に入って各地に禅寺が造営されるようになると、その一角に「枯山水(かれさんすい)」という岩組みや白砂の庭が出現します。竜安寺や大徳寺が有名ですが、このような庭は中国にはないものです。 中国の庭園(園林と総称します)は植物も石もわんさとあります。日本の禅庭は最小限の石と植栽だけでつくられ、枯山水にいたっては水を使わずに石だけで水の流れを表現します。つまり引き算がおこっているのです。 お茶も中国からやってきたものでした。栄西が『喫茶養生記』でその由来を綴っている。 しかし日本では、最初こそ中国の喫茶習慣をまねていたのですが、やがて「草庵の茶」という侘び茶の風味や所作に転化していきました。 またそのための茶室を独特の風情でつくりあげた。身ひとつが出入りできるだけの小さな躙口を設け、最小のサイズの床の間をしつらえた。部屋の大きさも広間から4畳半へ、3帖台目へ、さらには2帖台目というふうになっていく。 こんなことも中国の喫茶にはありません。ここにも引き算がおこっているのです。 侘び茶や草庵の茶に傾いた村田珠光は、短いながらもとても重要な『心の文』という覚え書のなかで、そうした心を「和漢の境をまぎらかす」と述べました。たいへん画期的なテーゼでした。 古来、日本には中国からさまざまな建具が入ってきました。衝立や板戸です。たいていは頑丈な木でできているのですが、日本はそこから軽い「襖(ふすま)」や「障子」を工夫した。桟を残して和紙をあてがったのです。これらは1970年代以降の日本の技術シーンで流行した「軽薄短小」のハシリです。 このように、日本は「漢」に学んで漢を離れ、「和」を仕込んで和漢の境に遊ぶようになったのです。 さらに連載記事<日本人なのに「日本文化」を知らなすぎる…「知の巨人」松岡正剛が最期に伝えたかった「日本とは何か」>では、日本文化の知られざる魅力に迫っていきます。ぜひご覧ください。
松岡 正剛