「甲斐監督の世界観を汚したくなかった」映画『徒花-ADABANA-』主演・井浦新インタビュー。役作り、分岐点について語る
「きっと自分のライブラリーの中から出てくる」 役作りと演技について
ーーー今回井浦さんは、死期が迫っている主人公・新次と、病にむしばまれた人間に提供されるもう1人の自分“それ”の2役を演じられていますが、演じ分けが素晴らしく、同じ俳優が演じているとは思えませんでした。それぞれのキャラクターについて、どのようなイメージを持って、役に臨まれましたか? 「新次は、自分の内側から湧き出してくる俗物を演じたいという思いがありました。一方の“それ”は、粘菌や植物のイメージ。植物プラントのような人工的な空間で生のすべてを管理されて育てられたものをイメージしました。現場では、今申し上げたイメージを元に、内から出てきたものに従うようにして役を演じました」 ーーー「俗物」や「粘菌」など抽象的なキーワードが役づくりのヒントになる、ということでしょうか。とても興味深いお話です。 「きっと自分の中のライブラリーから出てくるんだと思います。今まで自分が生きてきた中で感じたこと、得たこと、学んだこと、体験したこと、出会ったものが、役にアプローチするための最初の栄養素。それを一回グチャっと混ぜて、発酵させて、そこから出てきた一滴のしずくを現場でさらに発展させていく。普段、自分のお芝居のアプローチを解剖しないのですが、そういうことだと思います。 今回も、本番直前まではお芝居を固めてないんです。初日に撮ったシーンは、この映画の世界を表現するような見事な曇天で、青空でもなければ、雨も降らない日だったのですが、撮影現場の大気の状態、湿度や温度、そして監督やスタッフさんの仕事を見ながら過ごしていると、ぽろっと役がうまれてくる。自分はそういうやり方なんです」
「これまでの10年間は何も通用しなかった」 巨匠・若松孝二監督との出会い
ーーー先ほど、20代の頃とはお芝居への向き合い方が変わったと仰っていましたが、ターニングポイントはいつでしたか? 「自分はどなたかの付き人をやっていたわけでもなく、突然役者デビューしてしまったので、俳優を目指してこられた方とはスタートラインが違うんです。だからやりながら自分で学んでいくしかなかった。教えてくれる人もいなかったですし、10年間くらい彷徨っていた中で、初めて自分が恩師だと思えた人は若松孝二監督です」 ーーー私は井浦さんが初めて若松孝二監督の作品にご出演された『実録・連合赤軍 あさま山荘への道』が凄く好きなんです。 「ありがとうございます! 珍しいですね(笑)。デビューしてから10年くらいは、本当に自分の感覚だけでやっていて。 本来は、来た仕事を順番にやっていき、色んなことができるようになって研ぎ澄まされてから仕事を選んでいくと思うんですが、僕の場合、逆だったんです。デビューから仕事を選びまくって、やらなかったらやらなかったで、1~2年くらい平気で過ごしていたり。 もちろん携わったお仕事は一生懸命やるのですが、お芝居の難しさや楽しさの表面にしか手が届かなかったんです。とはいえ、10年くらいやったら職人さんたちが一人前になるように、自分もサバイバルしてきたな、と思えたタイミングで若松監督と出会いました」 ーーー出会いのきっかけは何だったのでしょうか? 「若松監督は初めて自分から飛び込んで行った方なのですが、ポレポレ東中野に『若松孝二にあさま山荘を撮らせたい』というカンパ募集のチラシがあって、そこに若松プロの電話番号が書いてあったので、『俳優のオーディションやってますか?』と自分から電話をしたのがきっかけです」 ーーー実際に若松監督の現場に飛び込まれてみて、いかがでしたか? 「自分の現在地みたいなものを突きつけられた感じがして、これまでの10年間なんて何も通用しなかったですね。それまでは自分ができる芝居でしたが、イメージも湧かないようなことを求められて、それに挑戦することの面白さや、映画作りの面白さを教えてもらいました。 そこからだと思います。仕事の仕方がどんどんブラッシュアップされて、『自分はこんなこともできるんだ。まだ全然伸び代だらけだった!』と自分に驚かされる、そんな感覚が楽しめるようになったのは」 ーーーこれからも、変化/進化を止めない井浦さんのお芝居から目が離せません。本日はありがとうございました。 (取材・文:福田桃奈)
福田桃奈