「先生が壊れる」 若手教員に病休者が多い深刻事情 失われる意欲、なぜ教員は追いつめられるのか
休み始めると、罪悪感に苦しんだ。子どもに申し訳ない。クラス担任の自分が不在になったことで、同僚にも負担がかかっているだろう……。保護者からの信頼がどうなるかも心配だった。 教員として、忙しいながらも成長する子どもの姿にやりがいを感じてきたし、仕事は楽しい面もあった。休まざるを得ないのは不本意で、つらかった。 なぜこうなってしまったのか。 振り返ると、クラスを1人で抱え込み、孤立していたのかもしれない。学校では病気などで休む教員が数人いて、欠員の補充もされなかった。校長や教頭といった管理職も授業を受け持たざるを得ない状況だった。
ほかの教員もほぼ全員が学級担任。それぞれが手いっぱいだった。クラスをどうするか、相談できる人はいなかった。管理職は、支援する人材をクラスに入れるなどの配慮はしてくれなかった。 「もっとサポートが欲しかった。仕事が必要かどうか考え、量をもっと絞って欲しかった」。振り返って、そう思う。 ■ベテラン教師が倒れるケースも 若手が孤立する学校がある一方で、ベテラン教員が疲れ果てて倒れるケースもある。 中部地方の公立小の50代男性教諭は、教務主任だった21年12月、学校に行けなくなった。
学級担任ではなかったが、特別な支援が必要な子をサポートしたり、コロナで休んだ教員の代わりに教壇に立ったりと、日中はほとんど職員室にいられない。合間には、ほかの教員から様々な報告や相談を受けた。 午後5時を過ぎてから、教務主任としてのデスクワークにとりかかる。教育委員会や文科省への提出書類の山をさばき、退勤は遅いと日付が変わる頃に。 出勤から退勤まで、ほぼ休憩はなかった。周到な準備が必要な研究発表を任されたため、自宅でもパソコンに向かった。
■教員同士でゆっくり話す余裕がなくなった 職場には大学を出たばかりの新人教員もいた。教え方などを指導する立場でもあるが、自身の仕事に忙殺されてほとんど気にかけてあげられなかった。 経験が浅い間は、子どもに言い過ぎてしまったり、よかれと思ってしたことが裏目に出たり、どうしても失敗が多い。 かつては放課後、教員同士でゆっくり話すことがよくあった。若手は先輩に様々なことを質問し、助言をもらっていた。いまはそれぞれ抱える仕事が多すぎて、その時間をつくるのが難しくなった。