「お前、負けんなよ! ちゃんとしろよ!」東京ヴェルディ主将を救った後輩の一喝。歴史を背負う覚悟と涙の意味【コラム】
J1昇格プレーオフ決勝、東京ヴェルディ対清水エスパルスが2日に行われ、1-1で引き分けたヴェルディがJ1昇格を決めた。キャプテンを務める森田晃樹は安堵と喜びに涙。土壇場で引き分けに持ち込んだ試合の舞台裏には、森田を立ち直らせる後輩の一喝があった。(取材・文:藤江直人) 【動画】歓喜の涙。東京ヴェルディ対清水エスパルス
●J1昇格に涙した東京ヴェルディ主将 森田晃樹は自分自身に驚いていた。こんなにも涙もろかったのか。そもそも、人前で大泣きするようなタイプだったのか。必死に記憶をたどっても「大人になってからはない」と苦笑するしかない。 それだけ、23歳にして東京ヴェルディのキャプテンを務める森田にとって、2023年12月2日は特別な日となった。ホーム扱いの東京・国立競技場に清水エスパルスを迎えたJ1昇格プレーオフ決勝。1―1の引き分けと、実に16年ぶりとなるJ1復帰決定を告げる主審の笛が鳴り響いた瞬間だった。 センターサークル付近にいた森田は空を見上げながら、ピッチに仰向けになって倒れ込んだ。左右の手で顔を覆いながら号泣している。チームメイトたちの手で起こされても、試合終了の挨拶に臨んでも、Jリーグの公式インタビューでお立ち台に上っても、あふれ出てくる涙を止められなかった。 インタビューでは終始言葉が途切れ、代わりに嗚咽に近い声をマイクが拾う場面もあった。ファン・サポーターのエールを受けながら、何とか言葉を紡いだ森田は照れ臭そうに涙の理由を語っている。 「何かもう自然と泣いてしまいました。いまのチームにはアカデミー上がりの選手もいますし、梶川(諒太)選手や小池(純輝)選手をはじめとする、チームを長く支えてきた選手もいる。そういった選手たちの嬉しそうな顔や泣いている顔を見ていたら、僕もすごく泣いちゃいました」 もちろん、幾重もの涙に込められた思いはこれだけではなかった。ひとつは一人の選手として、計り知れないほど大きく、重たい十字架から解き放たれた安堵の思いが涙腺を決壊させていた。 ●「もうブレブレ」PK献上で森田晃樹の心境は… ヴェルディは長丁場のJ2リーグをジュビロ磐田と並ぶ勝ち点75で終えながら、得失点差でわずかに及ばない3位でJ1への自動昇格を逃し、気持ちも新たにJ1昇格プレーオフに進んだ。 まず先月26日の準決勝でジェフ千葉を2-1で撃破。迎えた決勝の相手はシーズン4位の清水となり、90分間を終えて同点の場合はレギュレーションにより、リーグ戦を上位で終えたヴェルディに軍配が上がる。実際、試合は清水に押されながらも、ともに無得点のまま推移していった。 しかし、63分に予期せぬ形で均衡が崩れた。浮き球のパスに反応した清水のMF中山克広が、ペナルティーエリアの右奥への侵入してくる。対応したのはボランチの森田。しかし、ボールがワンバウンドした直後に笛が鳴り響いた。振り返れば、池内明彦主審がペナルティースポットを指さしている。 攻防の最中に、森田の左手にボールが当たったと判定された。VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)のチェックをへても状況は変わらない。ボールをセットした昨シーズンのJ1得点王、FWチアゴ・サンタナが強烈な一撃をゴール右隅へ突き刺す。痛恨の場面を森田はこう振り返っている。 「自分としてはハンドじゃないと思ったんですけど……でも、VARがあるなかでそういうジャッジをされてしまった。それがすべてなので、もうしょうがないという感じでしたけど」 時間はまだ十分に残っている。キャプテンとして、気持ちを切り替えようと必死にチームを鼓舞した。しかし、一人の選手としてどうしても尾を引きずってしまう。絶対に与えてはいけない先制点を、自らのハンドで与えてしまった。もしこのまま負けたら、というネガティブな思いが脳裏を駆け巡る。 「いやぁ、もうブレブレだったと思います」 ビハインドを背負った後の心境を、森田はこんな言葉で振り返っている。もっとも、試合後の取材エリアで苦笑いとともに振り返れる理由があった。沈んだ気持ちと表情のまま、清水のボランチ、ホナウドとの球際の攻防で完敗を喫した直後だった。怒りが込められた大声が飛んできた。 ●森田晃樹を救った後輩の一喝 「晃樹、お前、負けんなよ! ちゃんとしろよ!」 声の発信源をたどっていくとFW染野唯月がいた。ピッチを離れたプライベートでも仲のいい、ひとつ年下のストライカーの魂が込められた檄は、森田を我に返すのに十分な響きを伴っていた。 「初めて呼び捨てされました。ハッとしましたよね。試合の後に染野選手に聞いたら『あのときの晃樹くんは、本当に顔が死んでいたよ』と言われて。本当に助けられました」 0-1のまま推移していった一戦は、8分が表示された後半アディショナルタイムの4分過ぎに大きく動いた。自陣の右タッチライン際で、清水のMF神谷優太を複数で取り囲んだ末に副キャプテンのDF谷口栄斗がボールを奪取。すかさず前方にいたMF中原輝へつけてカウンターを発動させる。 中原は振り向きざまに、清水の最終ラインの背後へ浮き球のパスを供給。これがすでにスプリントを開始していた染野の足もとにピタリと落ちる。染野はそのままペナルティーエリア内の右側へドリブルで突進。慌ててカバーに走ってきたÐF高橋祐治のスライディングタックルを誘発した。 染野がもんどりうって倒れた直後。再び池内主審の笛が鳴り響いた。PKを告げる判定に5万3000人以上の大観衆が駆けつけたスタンドが騒然と化す。VARとの交信をへても判定は変わらない。そして、この時点ですでに、自分が蹴ると言わんばかりに染野は自らボールを抱えていた。 試合中に獲得したPKに関して、ヴェルディは事前にキッカーを決めていない。そのなかで染野は率先して意思を示した。さらに否が応でもプレッシャーが増す96分という土壇場で、ダイブした清水のGK大久保択生に右手の指先を触れられながらも、ゴール右隅へ強烈な一撃を突き刺した。 ●低迷する東京ヴェルディと森田晃樹の少年時代 J1昇格を大きく手繰り寄せる同点ゴールを、必ず決めてくれると信じて見守っていた森田は何度もガッツポーズを作り、そして殊勲の染野に声をかけた。万感の思いを込めて「ありがとう」と。 「背後への抜け出しからPKを獲得するまでのプレーも素晴らしかったし、ものすごく大きなプレッシャーがあるなかで決め切ったのも素晴らしかった。染野選手には本当に称賛を送りたいですよね」 幼少期を愛知県名古屋市で過ごした森田は、東京都内への引っ越しとともに、より高いレベルでサッカーを続けられる環境を求めてヴェルディのジュニアのセレクションを受けて合格した。当時は小学校3年生。2009年という時期が、森田とヴェルディとを結ぶ運命の糸を象徴している。 2008シーズンのJ1リーグで17位に終わったヴェルディは、2度目のJ2降格を喫した。そして、森田が下部組織入りした2009年からいままで、J2から抜け出せない戦いを余儀なくされてきた。J1復帰どころか2014シーズンは20位、2016シーズンには18位とJ3降格がちらついている。 その間の2009年9月には日本テレビが経営から撤退。翌年には経営危機が表面化し、一時はJリーグが運営した時期もあった。同年からメインスポンサーを務めるゼビオホールディングスが2020年の年末に出資比率をアップ。ヴェルディを同社の連結子会社化して、いま現在に至っている。 森田自身は2013年に中学生年代のジュニアユース、2016年には高校生年代のユースへ順調に昇格。ユースの最終年だった2018年には、2種登録選手として天皇杯にも出場している。 2019シーズンから正式にトップチームへの昇格を果たしたなかで、ヴェルディの歴史もよく見聞きしてきた。2000年生まれの森田は、黄金時代を築いたヴェルディ川崎時代の黎明期をもちろんリアルタイムで経験していない。低迷期に入りかけた2000年代の戦いも、ライブでは見た記憶もない。 「ただ、ヴェルディ(のアカデミー)に入ったときから、大勢のOBの方から『ヴェルディはJ1にいるべきチームだ』と教えられてきたというか、そのような話をずっと聞いてきました」 こう振り返った森田は昨シーズンのオフに、名門クラブの歴史を背負う覚悟をさらに強めている。 ●「主力がいなくなるのは当たり前」 金の卵たちを次々と輩出してきた伝統のアカデミーは健在ながら、主力として一本立ちするやいなや、他のクラブに引き抜かれるケースが続いてきた。運転資金が決して潤沢ではないヴェルディとしても、生え抜きの若手選手を放出して、対価として得られる移籍金を補強資金にあててきた経緯があった。 そして、4年目を終えた森田にもオファーが届いた。昨年6月に就任した城福浩監督は、清水戦後の公式会見で「このチームは毎年主力が流出します」と切り出し、さらにこんな言葉を紡いでいる。 「去年も私が就任してから夏に2人、冬に4人のレギュラーがいなくなりました。もちろん彼(森田)も大きな選択を迫られた冬でした。なぜなら、そのシーズンが終われば主力がいなくなるのは当たり前、という状況のなかで、それでも彼はヴェルディに残る決断をしてくれたからです」 ヴェルディが苦難の道を歩み始めた2009年にくしくもクラブに加わり、もがき苦しんだ歴代の選手たちの姿を見ながら育ってきた森田を、城福監督は今シーズンのキャプテンに指名した。苦しいときに、森田がクラブへ抱く愛が進むべき道を示してくれるという信頼感がそこにあった。 「彼のキャラクターからすれば、キャプテンに任命されるのは到底考えられなかった、想像できなかったと思うんですね。そのなかでこの1年間、一緒に格闘しながらもがいてきて、辛抱強く積み重ねてきて最後の最後に彼と昇格を勝ち取れた喜びは、言葉では説明できないものだと思っています」 城福監督が森田への思いを語れば、J1復帰を果たした年のキャプテンを担った森田もこう続いた。そこには試合終了直後から頬を伝わせた涙に込められた、もうひとつの意味も込められてきた。 「振り返ってみると、本当にいろいろな人に助けられてきた1年間でした。僕だけの力じゃないですけど、僕がキャプテンという立場になったその年で、J1昇格を勝ち取れたのはすごく嬉しい。本当に学ぶことだらけでしたし、選手としてではなく人間的に成長できたかなと思っています。このクラブにずっと在籍してきて、あと一歩の年もありましたし、先輩たちの悔しい姿も見てきたなかで、そういった15年分の思いといったものが(涙として)少しあふれ出したかなという感じですね」 城福監督は就任と同時に、チームコンセプトとして「リカバリー・パワー」を掲げている。2年目を迎えた今シーズン。耳慣れないキーワードの意味がよくわかると森田は指揮官に感謝する。 「たとえミスをしても周りの選手が取り返す。リカバリー・パワーという言葉の裏には、どんどんチャレンジしていけ、という意味もある。それが今日の試合でもすごく大きな力を持ったと思います」 ●「リカバリー・パワー」が具現化された瞬間とは 言語化に長ける指揮官は、自ら「決して選手層が厚いわけでも、経験豊富な選手がいるわけでもない」と位置づけるヴェルディを、お互いがカバーしあいながら、ミスを恐れずにトライし続ける集団にまず変えたかった。そのためにキャッチーな造語のリカバリー・パワーを選手たちに植えつけた。 そして、キャプテンの森田が献上したPKによる失点を全員で取り返した清水戦は、リカバリー・パワーが最高の形で具現化された一戦でもあった。年上の自分に対して怒鳴った染野も、ある意味でリカバリー・パワーを発動していたと言っていい。城福体制下でのヴェルディを、森田はこう振り返る。 「PKを与えてしまい、リカバリーしてもらった側の僕が言うのもちょっとあれですけど、本当に素晴らしいリカバリー・パワーが出たと思います。城福監督の目指すサッカーにおいて本当にぴったりな言葉だなと思いましたし、この1年ちょっとで落とし込んだチームの戦術もそうですし、時に優しくて時に厳しいじゃないですけど、選手たちの気持ちを乗せるのも本当にうまいと思っています」 栄光と忸怩たる思いが色濃く刻まれたクラブの歴史に、ハイライン&ハイプレスを軸に、できるだけ相手陣内でボールを動かし続けるスタイルを標榜する城福監督の戦術が融合された新生ヴェルディは、正念場となる9月以降の戦いを7勝5分けと無敗で駆け抜けて戻るべき舞台への帰還を果たした。 清水戦から一夜明けた3日には解団式が行われ、最後は究極のハッピーエンドとなった、波乱万丈に富んだシーズンを終えた。ただ、新たな戦いはもう始まっている。森田はこんな言葉を残している。 「今年の天皇杯でもFC東京さんと当たる機会がありましたけど、平日のナイトゲームにもかかわらずすごい盛り上がりでした。そういうのも見ながら、歴史あるヴェルディというクラブがJ1に上がる、というのはすごく大きな意味を持つとあらためて思いました。だからこそ、1年でJ2へ落ちたら意味がない。そのあたりはクラブも、そして選手たちも大きな覚悟を持ってJ1の戦い臨みたい」 補強だけでなく期限付き移籍の選手が多い陣容をどうするか、といった編成面の問題は残る。それでも実際にピッチで戦っていく上で、ヴェルディが共有しているベクトルは来シーズンもぶれない。その中心に身長167cm体重63kgの小さな体に、あふれんばかりのヴェルディ愛を脈打たせる森田がいる。 (取材・文:藤江直人)
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