多様性は大事だけれど、きれいごとでは終わらない「分断された社会」の現実…誰もが「生きづらくない社会」について真剣に考えるための「一つの手がかり」
ロールズの重要性――現代政治哲学の起点
とはいえ、多くの人にとっては政治哲学という学問自体、馴染みのないものかもしれませんので、まずはそこのところから話を始めましょう。政治哲学とはその名前の通り、政治や政策のあり方や決め方をめぐって哲学的に検討する学問です。典型的なトピックを挙げれば、民主主義の理念とはどのようなものか、人々の権利はなぜ守られるべきなのか、などといった問いを真剣に検討します。先に挙げた格差、正義、自由、平等といった概念もすべて政治哲学の重要トピックです。 こういった問題についての検討は、非常に抽象度の高いものです。ですが、だからといって現実に足がついていないわけではありません。なぜなら、どのような政治哲学上の立場を取るのかが、政策判断に深く結びつくからです。 たとえば、人々の自由と平等を尊重する社会が望ましい、という主張がきちんとした理由とともに示され、多くの人が納得するなら、具体的な政策のレベルでも、経済格差を縮小するための政策や、さまざまな差別をなくしていくための政策が、選択されるべきだということになります。 逆に言えば、そもそもどのような社会が望ましいのか、ということがはっきりしなければ、政策は場当たり的なものにならざるをえません。現代においてはどのような政策を取るべきなのか、論争が激しさを増しています。もしかするとそれは、政治哲学的な議論が十分になされないまま、各人が自分の要求だけを掲げているからかもしれません。 ロールズの『正義論』の出版は、この政治哲学と呼ばれる学問領域における、一つの画期でした。彼の斬新かつ洗練された理論は多くの研究者に衝撃を与え、いかなる社会が正義にかなったものであるかをめぐる議論が、おおいに活性化することになりました。その結果、ロールズの見解以外にも実にさまざまな考え方が提起されました。 リバタリアニズム(自由至上主義)、コミュニタリアニズム(共同体主義)、ユーティリタリアニズム(功利主義)、リパブリカニズム(共和主義)など、多くの「~イズム」が登場し、いずれの立場がより大きな説得力を持つかをめぐってたくさんの論文や著作が書かれました。 一例を挙げれば、リバタリアニズムの立場からは、個人の権利が何よりも大事であり、したがって所得再分配は不当である、なぜならそれは富裕層の所有権の侵害だからだ、という形で平等主義リベラリズムへの批判が提起されました。こういった論争を通じて政治哲学の議論は20世紀後半に華やかに広がっていったのですが、その起点となったのが、ロールズ『正義論』の出版だったのです。 もちろんロールズ以前にも政治哲学の議論はありました(実を言えば紀元前のころからありました)。しかし前述のように、政治哲学が現実の政治に深く関わっているのだとすれば、社会がどんどん移り変わっていく中で、政治哲学の側もやはり論じ方を変えていかざるをえません。 ロールズは二度の世界大戦を経た20世紀の後半において、新しい社会のあり方に応じた新しい政治哲学の論じ方を確立し、活発な検討の端緒を開きました。その思想は、現代のわれわれが社会や政治のあり方について考える上で、大きなヒントをくれるものとなるでしょう。