プロ初勝利が消えた期待の高卒ルーキーも…降雨コールドゲームを巡る“悲喜劇”
4月16日の阪神VS巨人が暴風雨のため、9回終了直後の延長10回0/3コールドの珍幕切れとなった。1-1の同点で9回裏終了後、阪神の投手がハビー・ゲラから桐敷拓馬への交代が告げられ、場内アナウンスで発表されていたことから、桐敷が1球も投じていないのに、10回コールドになったというもの(ただし、桐敷は出場試合数1が加算されるが、登板数は記録されない)。そして、過去にも降雨コールドゲームをめぐる悲喜劇が少なからずあった。 ほぼ確実に思われたプロ初勝利を嫌がらせのような降雨コールドゲームでフイにしたのが、ヤクルト・川崎憲次郎だ。 1989年8月13日の広島戦、高卒のドラ1ルーキー・川崎は3点を失ったものの、8回まで毎回の11三振を奪い、3-3の同点で最終回を迎えた。 そして9回表、ヤクルトはラリー・パリッシュの二塁打、小川淳司の三塁打で2点を勝ち越し、なおも二死三塁のチャンス。もう1点もやれない広島・山本浩二監督は、先発・白武佳久に代えてリリーフ・紀藤真琴を告げたが、直後、雷を伴うスコールのような激しい雨が降り出し、グラウンドはたちまち泥田状態に。15分の中断後、降雨コールドゲームが宣告され、3-3の8回コールド引き分けとなった。 せっかく2点を勝ち越してもらったのに、無情の雨でプロ初勝利が幻と消えた川崎は、8月5日の中日戦でも7回まで被安打わずか1、失点1の好投も報われず、0-1で敗戦投手になったばかりとあって、「残念どころじゃないっすよ。ホント、頭にくるなあ」と大荒れ。関根潤三監督も「とんでもない雨だよ。川崎がよく投げてくれたんだけどねえ。ここで勝っときゃ、次に(つながる)大きな白星になったのにねえ」と嘆き節だった。 ◆ コールド負け寸前から“大反撃” 降雨コールドゲームをめぐって、状況が二転三転したのが、1985年5月28日の広島VS大洋だ。 4-3とリードした広島の5回裏攻撃中に降雨で試合が中断。このまま中止になれば、5回コールドで広島の逃げ切り勝ちになるところだったが、中止寸前の22分後、かろうじて試合は再開された。 すると、今度はコールド負け寸前から“首の皮一枚”で息を吹き返した大洋が、一気に反撃に転じる。 6回表、北別府学の制球の乱れに乗じ、2四球などで二死一・二塁としたあと、代打・平田薫が中前に起死回生の同点タイムリー。さらに高木豊、加藤博一の1、2番が連続で中前に運び、屋鋪要も中越え二塁打と怒涛の4連続タイムリーで、8-4と一気に突き放した。 だが、せっかく逆転に成功しても、降水確率100%でいつ中止になってもおかしくない不安定な空模様とあって、その裏の広島の攻撃が終了する前に中止になれば、6回の5点は幻と消え、大洋は5回コールドで負けてしまう。これ以上、攻撃を長引かせるわけにはいかない。 「まずいな……」のベンチの声に呼応するように、直後、二塁走者の屋鋪が「ゲームを成立させなくちゃいかんもん。頭脳プレーですよ」と“阿吽の呼吸”でベースを飛び出し、タッチアウト。先発・遠藤一彦をリリーフした斉藤明夫がその裏の広島の攻撃をゼロに抑え、何とか試合を成立させた。 結局、9-4の7回降雨コールドで大洋が勝利したが、7回の打席でワンバウンドのボール球を空振りして3球三振に倒れる“スピードアップ作戦”にもかかわらず、1イニング足りず6セーブ目を逃した斉藤は「7回で終わっちゃってセーブ付かないのよ。ウーン」と複雑な表情だった。 ◆ 「押せ押せムード」だったのに… 最大10点差をものともせず、終盤以降、猛反撃に転じ、最終回に奇跡の大逆転劇なるか?と予感させた直後、文字どおり雨に水を差されたのが2014年のヤクルトだ。 8月29日の阪神戦、6回まで0-10と一方的にリードされていたヤクルトは、7回一死、畠山和洋が能見篤史から9球粘って四球を選び、反撃の狼煙を上げる。飯原誉士も右前安打で続き、一死一・二塁から中村悠平の左越え二塁打で、まず1点。二死後、山田哲人の三ゴロを今成亮太がファンブルする間に2点目を挙げた。 これで勢いづいたヤクルト打線は、8回にも2番手・加藤康介から一死満塁のチャンスをつくり、中村の中前2点タイムリーで、4-10とさらに追い上げた。 そして9回、山田の内野安打と四球で無死一・二塁とし、川端慎吾の右越えタイムリー二塁打で5-10としたあと、比屋根渉もストレートの四球で無死満塁。楽勝ムードから尻に火がついた阪神・和田豊監督も背に腹は代えられず、3番手・渡辺亮に代えて守護神・呉昇恒を投入した。 ところが、呉がリリーフカーに乗ってマウンド付近まで来たところで雨が激しくなり、呉はそのままベンチへ避難。グラウンドはあっという間に泥田状態となり、風も強くなってきたため、試合続行不能と判断され、9回表途中10-5で降雨コールドゲームになった。 押せ押せムードに水を差されたヤクルトにとっては、あまりにもあと味の悪い敗戦……。無死満塁で打席を迎えた雄平は「最低です。予想外。打てなかったかもしれないけど、僕がつなぐことができたら、後ろにはハタケ(畠山)さんもいましたし」と悔しがり、小川淳司監督も「最後までやりたかったけど、しょうがない」と天を仰ぐばかりだった。 文=久保田龍雄(くぼた・たつお)
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