道頓堀「グリコ看板」初代はどんな色だった? 資料は白黒写真のみ、歴史に色づけしたい/大阪
いったい、どんな色に光ってたんでしょう?―。1935年(昭和10年)の登場以来、多くの観光客らに親しまれている大阪市中央区道頓堀の名物「グリコ看板」。現在の看板(5代目)が8月17日で役目を終え、秋に新たな看板がどのようなデザインで登場するかが話題となっている。そんな中、江崎グリコ社内では、初代看板の「色」を示す写真や映像といった資料がまったくなく、現在、地元で聞きこむなどして探しているという。担当者は「もし当時の看板を見た方がいたら教えてほしい。またご家族の中に『昔のグリコの看板見たことある?』と一度聞いて頂けたらうれしいです」などと話している。 現看板の最終点灯日は8月17日。写真で過去の看板振り返り
文字やマークが色を変化させ毎分19回点滅していた?
同社によると、初代看板は現在と同じ道頓堀川、戎橋近くに登場。当時としては型破りの大きさとなる、高さ33メートルの「ネオン塔」だったという。描かれていたデザインは、おなじみの両手をあげたランナーのトレードマークにグリコの文字。そのマークと文字が6色に変化し毎分19回点滅する「花模様」が特徴で、当時も道頓堀の名物になっていたとされる。しかし、太平洋戦争さなかの1943年、戦況が厳しくなったことを受けての鉄材供出のため、撤去を余儀なくされた。 約8年間、道頓堀の名物として輝いていた初代グリコ看板。だが、その記録を示すものは同社に残っている「白黒写真」のみだという。1972年に同市西淀川区の本社内に作られた「江崎記念館」の設立とともに写真などの資料を一括して保存・収集してきたが「初代看板の色を示すものが何もないんです」と同社グループ広報部マネジャーの吉本宏さんは頭を抱える。初代看板の色を調べようと、地元の商店街や町会長などを通じて社員で聞き込み調査も行ってきたが、記録はおろか記憶している人を見つけることができなかった。
実際に見た人を探し、歴史に色づけしたい
時代背景からしても、当時のカラーフィルム映像や写真を探すのは難しい。そこで「実際に初代看板を見た」という人を探し、話しを聞いて記録を残すことを決めたという。「1935年から43年という8年間の記憶となりますが、子どものころなど目の当たりにした方を探しています。おうちのおじいちゃん、おばあちゃんにも『昔のグリコ看板見たことある?』と聞いていただけたらうれしいです」と吉本さん。このほか1955年から72年まであった2、3代目の看板の資料も少なく、当時の写真や映像なども探しているという。 2003年には「大阪市指定景観形成物」にも指定(2003年)されるなど、今や大阪の街の象徴としても挙げられるこの看板。同社では、モノクロの歴史にくっきりと色づけしてくれる人の登場を心待ちにしている。情報提供は、同社お客様センター(0120・917・111)まで。