成功の裏にあった技術者の苦難 愛知が支えた「H3ロケット」の開発
ホコリひとつも許されない場所で、重要な部品を製造する柴田さん。打ち上げの際にエンジンなどが引き起こす、強烈な振動をおさえる部品だ。
振動試験の失敗がトラウマとなり、退職を考えた時期もあったという。「入社前はもっとスマートな仕事だと思ってたんですけど、計算通りにはいきませんでした。そういうことが毎日のように起きていて。(そういう部分が)“泥臭い”といえばそうなんですが、“面白いところ”でもあると思います」と仕事のやりがいを笑顔で語った。
メインエンジンは自分の“生き写し”
同じく、成功を支えた三菱重工の渡邊大輝さん(小牧北工場)。積み重ねられた苦労の陰には、受け継いできた思いがあった。小学生の時、宇宙飛行士に出した手紙の返事をもらったのがキッカケで、宇宙に憧れをもった渡邊さん。入社以来携わってきたメインエンジンは、まるで自分の“生き写し”のようだという。
「長い間、いろんな人のパスを受け取って形にしていく。いろんな意味で緊張します」と話す渡邊さん。“ものづくりの原点”は渡邊さんの祖父だった。テレビ塔の基礎部分を避けるために、急カーブのルートで進めなければならなかった地下鉄名城線の建設。この難しい工事を担っていたのが渡邊さんの祖父だった。人々の暮らしのため、難工事に挑んだ祖父。そんな祖父の姿は、渡邊さんにとって憧れの存在となった。
渡邊さんの目標は、“人工衛星を利用した日々の暮らしに貢献していく”こと。渡邊さんが生まれたのは、海抜ゼロメートル地帯がある愛知県愛西市。自分の打ち上げた衛星が、少しでも地元の防災に役立てばと願っている。
宇宙輸送の技術を着実に成長させたい
地元の技術者たちの願いを乗せて、打ち上げが成功した「H3ロケット」。打ち上げ成功について、長崎さんは、「失敗がありましたので、打ち上げ成功までの期間はすごく長くて。成功したという結果を受けて、すごく感慨深かったです」と笑顔を浮かべる。柴田さんは、「本当に打ち上がってよかったなと思います。みんなの1つ1つの積み重なりが、打ち上げ成功につながったのかなと思います」とすべての技術者たちの努力と苦労に思いを寄せた。「これでようやくスタートラインだっていう、そういう思いが本当に強い」と嬉しさを滲ませる渡邊さん。続けて「日本の宇宙輸送をしっかりとしたものに維持し、成長させることを着実に続けていきたいです」と今後の展望を語った。