「魔女の宅急便」作者、角野栄子の波瀾万丈な人生と仕事への向き合い方「この先も書くのをやめてしまうことはない」
『カラフルな魔女~角野栄子の物語が生まれる暮らし~』(1月26日公開)は、「魔女の宅急便」の作者として知られる、児童文学作家・角野栄子の日常に4年にわたって密着したドキュメンタリー映画。35歳で作家デビューした波瀾万丈の人生から、カラフルなファッションに身を包み、執筆のため日々パソコンに向かう、今年の1月1日で89歳となったいまもなお創作意欲旺盛な彼女の様子までが明らかとなる。MOVIE WALKER PRESSは鎌倉にある角野のアトリエを訪ね、インタビューを敢行。自身の歩んできた道のりを“いたずら書きのような人生”となぞらえる角野だが、自由さと夢がいっぱいにあふれだすような作品を書き続ける原点にあるのは、どのようなものなのか。そこに大きく関わる終戦の記憶や、スランプとの向き合い方までを語る彼女の言葉は、力強く、それでいて軽やかで、人生を豊かに過ごすヒントが詰まっていた。 【写真を見る】“いちご色”の壁や本棚に囲まれた鎌倉のアトリエで、これまでの歩みや“書くこと”への情熱を語った角野栄子 ■「髪の毛が白くなると、いろいろな色の服が映える。何色でも着られるようになるんです」 1935年に東京・深川で生まれた角野は、大学卒業後に紀伊国屋書店出版部勤務を経て24歳からブラジルに2年滞在。その体験をもとに描いた「ルイジンニョ少年 ブラジルをたずねて」で、1970年に作家デビューした。映画化、舞台化もされた代表作「魔女の宅急便」は、野間児童文芸賞や小学館文学賞を受賞。2018 年には児童文学の“小さなノーベル賞”といわれる国際アンデルセン賞の作家賞を日本人として3人目に受賞するなど、世界的人気を誇る児童文学作家だ。 ドキュメンタリー映画で映しだされるのは、自分で選んだ“いちご色”の壁や本棚に囲まれた鎌倉のアトリエで、個性的なメガネをかけて創作に励む姿。自身の日常が映画になることに「なんだかとても照れる」と微笑んだ角野は、インタビュー当日も壁の色に合わせた“いちご色”の洋服に、首元にはメガネのピンをたくさん飾ったなんともキュートなコーディネート。「カラフルな洋服を着ると心が弾むんですよ。それに髪の毛が白くなると、いろいろな色の洋服が映えて、逆に何色でも着られるようになる。『白髪になって嫌だけれど、染めるのも面倒くさいな』と、ある日、染めるのをやめてみたんです。でもやめるだけではつまらないから『変わったことをやってみたい』と思って、派手な服を着てみたんですよ」と、なんでも楽しむことを大切に、日々を過ごしているという。 角野が送っているのは、朝8時に起床後、パソコンに向かって執筆をはじめ、歌うように口ずさみながら物語を紡ぐ日々。集中力とアイデアが途切れない様子に驚かされるが、「若いころよりは集中力は続かなくなりましたね」と打ち明けつつ、「時々コーヒーを飲んだり、庭を見たり、洗濯をしてみたり」と、ほどよく息抜きをしているのだとか。一番アイデアが湧いてくるのは、散歩をしている時だそうで「私の場合は『考えよう、考えよう』と思って机に向かっていると、ろくなことはないですね。つまらないことしか出てこない。散歩をしていたりすると、ふと『これはおもしろそう』というものが出てくる。“いたずら歩き”で歩いてみるのよ」と外へと出かけ、寄り道をしながら気ままに歩くことがアイデアを生みだす秘訣だと話す。 ■「ブラジルで積んだ経験は、まさにキキと同じもの。歩かないと、なにかに出会うことはできない」 角野は、結婚、出産後の35歳で作家デビューを果たした。「作家になるなんて、まったく思っていなかった」という彼女にとって、大きな転機となったのが24歳で渡ったブラジルでの生活だ。当時、新婚の夫と共に広い世界を見てみたいとブラジルへと飛びだしたのだという。 「日本に帰ってきて、数年後に娘が生まれました。当時はいまのように保育園もないし、私は幼いころに母親を亡くしていますので、面倒を見てくれる人もいない。娘につきっきりの生活をしていました」と専業主婦として育児に追われている時期に、大学時代の恩師から「本を書いてみないか」という思いがけない声がけがあった。そこで執筆したのが、ブラジルでポルトガル語を教えてくれた少年、ルイジンニョ少年との交流をもとに描いたデビュー作「ルイジンニョ少年 ブラジルをたずねて」となった。 「私には、本なんて書けないと思っていました。だって卒論とラブレター以外、文章なんて書いたことがないんですから」と笑った角野は、「でも先生が強く、『書きなさい』と言ってくださった。『先生、私の卒論しか読んだことがないくせに』と言いながらね(笑)。それならばルイジンニョのことを書いてみようと思ったんだけれど、始めてみたらものすごくおもしろかった。書いていると『人間ってこういう時にこう話すんだ』『こんなことを考えているのかも…』とかいろいろな発見があるし、自分のなかにたくさんの世界が生まれてくる」と目を輝かせる。 自分が好きだと思えることを見つけた角野は、それから夢中になって次々と物語を書き始めた。「ブラジルに行ったこと、ルイジンニョと出会ったことは、私にとってとても大きな出来事です」と作家人生の転機となった出会いに感謝しきり。 ブラジルで生活を始めた当初は戸惑ったり、寂しく思ったりすることもあったというが、出会いを通して新たな世界が広がっていく過程は「まさに『魔女の宅急便』のキキと同じですね」としみじみ。「やっぱり私は、“歩くこと”ってとてもいいことだなと思うんです。歩かないと、なにかに出会うことはできない。どこか遠くへ行かなくとも、1日ごとの散歩だっていい。そうすると小さなことでも発見があるし、想像力が湧いてくる。動かずになにかを待っているだけだと、だんだん凝り固まって小さくなってしまうような気がしています」と実感を込める。ちなみに本作では、なんと角野とルイジンニョによる62年ぶりの再会も捉えており、角野が「ルイジンニョも『ミラクルだ』と言っていましたね」と振り返るように、人生の滋味が詰まった場面となっている。 ■「好きなことだったら、やめられない」 思いがけない作家デビューから、53年。「魔女の宅急便」をはじめ、「アッチ・コッチ・ソッチの小さなおばけ」や「リンゴちゃん」など数々の人気シリーズを世に送りだしてきた。どの作品も、魅力的なキャラクターが躍動する、自由奔放な発想にあふれたものばかり。この“自由さ”は角野作品に欠かせないエッセンスだが、その原点には終戦の記憶が根付いているという。「戦時中は、ものすごく締め付けのある時代でした」と切りだした角野は、「食べるものがない、着るものもない暮らしであったとしても、日本が戦争に勝つためにはみんなが我慢しなければいけない、兵隊さんにお金を送るんだという教育をされて、それに対して大きな声で意義を唱えることはとてもできないような時代です」と回顧。 「灯火管制といって、夜は空襲に備えて電気の光が漏れないように暮らしていました。電球の傘に、風呂敷をかけたりしてね。終戦後にそれがパッと取れて、明るいところで暮らせるということが本当にうれしかったですね。すごいことだなと思いました」と終戦を迎え、その生活が一転したと続ける。「生活がそうやって少しずつ変化していって、『自由なんだ』という気持ちも湧いてきた。ラジオの進駐軍放送からジャズが流れてきたり、外国から映画や本もたくさん入ってきたりしてね。これからは遠慮なくいろいろなことができるんだ、やりたいと思えば、それが叶えられるような世の中がやってきたんだ、うれしい!って」と声を弾ませながら、「戦後には、借りてきた本ではなく、新しい本を買ってもらえるということもうれしかったですね。特に覚えているのは、『ビルマの竪琴』。とにかく、『これは自分の本なんだ』と思えることがうれしくて。新しい本って匂いも違うし、自分の本だと思えるものを手にする感覚は格別なもの。いまの子どもたちにも、そういった経験をたくさんしてもらえたらいいなと思っています」と自由への喜びや、子どもたちへの願いも込めながら、作家活動に打ち込んでいる。 よく笑い、よく食べ、仕事にも邁進する。インタビュー当日も周囲をパッと明るくしてしまうような笑顔やトークに取材陣も魅了されっぱなしだったが、そんな角野にとって「スランプだ」と感じる瞬間はあったのだろうか。すると「『書けないな』『私、もうダメかしら』と思うこともありますよ」と、角野は目尻を下げる。「でも、一晩寝るとまた書きたくなる。書き直してみることも、とても大事なことだと思っています。『きっと新しいものと出会える』という期待を持って、書き直してみる。こう考えてみると、やっぱり私は物語を書くことが好きなんでしょうね。書いていると、“そこに自分がいる”という感じがする。『書きたくない』と思ったこともあるけれど、この先も書くのをやめてしまうことはないと思います。好きなことだったら、やっぱりやるのよ。“そこに自分がいる”と感じられるものをやめてしまったら、寂しくてしょうがない」と楽しそうに語る。 2023年11月3日には、隈研吾設計による「魔法の文学館」(江戸川区角野栄子児童文学館)が開館するなど、角野栄子の世界はどこまでも広がっていく。同館には幅広い世代が訪れ、たくさんの子どもたちが熱心に児童書に読むふける姿も見受けられた。時代を経ても人々を魅了する物語について、角野は「なんだかおもしろい人が出てきて、失敗したり、成功したりしながら、あちこちを歩くようにして進んでいく。そして納得のいくハッピーエンドがあることが大事だと思っています」と持論を展開し、「人生、何事も失敗しないと始まらない。失敗は物事の始まりですよ」とニッコリ。楽しくて、温かな物語は、それらを生みだした彼女の人柄そのものだった。 取材・文/成田おり枝